2023年にサクラ大戦1をプレイしたら 結構しんどかった
SEGA最新ハード・ドリームキャスト(DC)の中古を入手したので、サクラ大戦の
DCリメイク版を遊んでみました。
発売当時絶大な人気を誇り、サクラ対戦・最後のリアル舞台ショウで、千秋楽公演が終わってもファンが別れを惜しんで誰も帰ろうとしなかったという伝説*1がその人気の大きさを物語ります。
檄!帝国華撃団の曲はもちろん知っていますが、プレイしたことはなかった!
まずはヒロインにさくらを選ぼうと思って好感度上げて1周目をクリア。そこまでで思ったことを書いてみます。
端的に言えばプレイした時代が悪かったといえましょう。
ゲームを楽しむより先に、現在と比べてしまってつらさを感じる場面がありました。キャラはいいんだけど・・・という。
でもこれは同時に、サクラ大戦の演出手法が現在のゲームに大きく影響してつながっている(現在はより洗練された)ことをきっと示しているはず。今やるとちょっと気になっちゃう評価になるけれど、当時サクラ大戦に熱狂した人々がたくさんいたのは事実。それゆえサクラ大戦が名作であるという評価に異論はないと思います。
余談
以前「季節を抱きしめて」をプレイしたときは、ストーリーの時代背景も1998年当時な感じだったので、演出やシステム含めこんなもんかと感じながらプレイできた。PCエンジン版のときメモをプレイしたときは、さすがにハードが古すぎて現代のゲーム演出との連続性がなかなか感じ取れず、これまたこんなもんかと感じながら遊べてしまった。
システム上のつらさ
バックログ機能がなかったり、戦闘パートのカーソル操作がもっさりだったり、これは現在と考え方とかハードスペック(元はSSだし)が違うから仕方ない・・・
カンナ
CVが田中真弓氏です。
もうわかりますね? 残念ながら2023年に聞くとルフィです。武闘派なキャラ付けもあってカンナはルフィに脳内変換されます。(死なねぇ!鉄だから!!)
必殺技演出
ポケモンショック以前の作品なので、必殺技にパカパカ演出(マリアさんの強化版必殺技)があります。今の高輝度大画面液晶で再生するとマジで目が潰れます。
必殺技のボイスも、現在の感覚からすると音質がノイジー、さらにエコーで音が後ろに引っ込んでいる感じもあって、演出になじみきっていない感覚がどうしてもあります。
合体技演出においても、演出画像の端っこを感じちゃって、こことここがくっつくように作られているんだなと思ったり、画像の動きがベジェ曲線的な滑らかな動きでは決してないところに時代感を感じざるを得ません。
ところで、テレビに普通にアナログ(3色端子)出力すると、この動画みたいに綺麗には映らないからね。
声優のボイス・演技
長官は名演技だなぁと思うわけですが、キャラクターごとの表現力はばらつぎがあるなと感じます。現代の声優さんだと、ヒロイン・お嬢様・ようじょなど、キャラクターの型に応じて、そして同じキャラクターなら統一された声色でうまく演技されるはずです。現代の演技指導で教えられる方法論は、きっと素晴らしいものなのだろうと推測します。
統一された声色であるかどうかは、当時といまをわける大きな要素に思えます。例えばさくらは普段は素直な声をしていますが、気合入るとまあまあ聞き取りづらいダミ声になったりしますし*2。
個人的にはアイリスの演技がけっこうきつくて、申し訳ないけどボイスを結構飛ばしてしまいました。ようじょ・外国人属性のキャラクターですが、現代の声優ならまた違った演技になりそうな気もします。
あと猪がめっちゃうるさかったな。特に必殺技の声。敵の幹部の幹部がわりと叫びがちでうるさい印象でしたが、QC的な視点からでいえばおそらくボイスのラウドネス(聴感上の音量)管理が現在に比べて甘いのかなという推測です。
助平演出
唐突で露骨な助平演出は、価値観の変化によってもはや平成に置いてきたものです。
男性が女性にちょっと触られて鼻の下を伸ばしたり ふと胸元を見てしまったりすることは、現実世界(3次元)ではあるかもしれませんが、いまどきの作品ではあんまり露骨に演出しないのではないでしょうか。ウマ娘とかそうだし。
あと最近は男の登場人物が空気かそもそもいない場合もありますし・・・。お兄ちゃんはおしまい!(おにまい)とか。
敵の言葉遣いとネーミングセンス
漢語が多かったり、古文調で話してみたり、誇張表現があったり、言い換えがあったり(死天王とか)・・・。
いまは、こういう文章体を揶揄と羞恥を込めてずばり言い表す言葉があります。厨二病です。
揶揄を込めての言葉というのがミソで、この表現といえば厨二病、厨二病といえば小馬鹿にする、という連想が脳内でつながってしまうのです。
当時だったら暴走族の夜露死苦程度のおどろおどろしいイメージがあったかもしれませんが・・・。そしてこの表現は、あほらしくてクセになるといえばなるんですが、相手はちゃんと強大な敵なので、脚本的には意図するところではないよね。
似たような例では、ハリーポッターのスネイプ先生の一人称訳が「我輩」なせいで、最終巻でのスネイプの辞世の句に込められた無念が通じない、みたいな感覚に近いですかね。
しかしここまでしんどいなぁと思っていてもなお、今でも伝わってくる部分があります。
音楽です。
サクラ大戦がアニメや3DCGとゲームの融合がウリと言っても、いまはより洗練された作品があります。確かに映像はかっこいいけれど、それを見て大きな興奮を得ることは難しく*3、過渡期の歴史を見ている感覚が頭をよぎります。
しかし音楽は、そうした技術的な部分を意識せず、音源の違いにすぎないものとして聞ける感じがします。
「檄!帝国華撃団」の心躍るメロディは、後世でも伝わるのではないでしょうか。
ちなみに
DC版サクラ3も入手したので1話までプレイしてみたところ、演出やゲーム性的にこっちのほうがすっと入ってきました。90年代のゲームの進化ってすごいんやなって・・・。