2000年代のインターネットの記憶(1992年生まれの視点から)

序文

1992年生まれのぼくにとって、2000年代後半のインターネット世界は、青春の伴走者である。

ニフティサーブの頃から遊んでいた人たちにはかなわないけれど、インターネット"壮年会"と言えるくらいには、いろんな世界を見てきたような気がする。

しかし時の流れは早い。ある日こんな記事を見かけた。

 

mogmog.hateblo.jp

すると、ここに記されている習慣や文化が今や忘れられつつあることに驚き、また同時にたった3年先輩なだけの筆者とぼくとの間で、感覚が微妙に違うことにも気づいた。

SNSで触れてみると、更に4年後輩の方からリプライがあった(無断転載失礼します)。詳しくはツイートツリーを参照されたい。

 

 

そうしてふと思った。

微妙に違う世代感(視点)をもとに、かつてのインターネット世界を振り返る試みがあってよいのではないか。できるだけ当時のインフラや空気感、そして1992年生まれから見た世代感を絡めて、当時のキーワードを振り返る試みをしたい。

形に残らないインターネット世界には、当時の雰囲気を物語る物証がいま(未来)も参照できるとは限らない。もう消えてしまったものもあるから、証明に限界がある。けれども、ぼくの記憶から消えないうちに、できるだけ文章化して残しておきたい世界がかつて存在したのだ。

 

以下の文章は、気づいたことや指摘があれば随時追記・修正していきたいと思う。しかし記述はぼくの観測範囲にあえてとどめたいと考えるので、ぜひ"生暖かい目で"見ていただきたい。

なお年表にするのは大変なので、なんとなく時代が分かる程度の記述にして散文的に書く。

 

2000年代初頭の雰囲気

ぼくの周辺環境・世代感

  • 当時地方都市に住む小学生
  • 1999年、インターネットとパソコンが我が家に来た。
    • 我が家のPCはFMV
    • 1999年当時の回線はISDN(はじめちゃん!!)
    • 2002年頃、ADSL回線(Yahoo!BB 12M)に変わる
  • 2001年、学校にPCルームができ、全普通教室にも配備される Windows Me!
  • 2002年、学校の図書室の蔵書管理が電子化される
  • 2002年(小学4年生)から完全週休2日制。
  • 家に自分のパソコンか、親と共用で使えるパソコンがある家がほとんど。インターネットを引いているとは限らない。
  • ポケモン」は赤緑から。主に遊んでいたのは「金銀」と「ルビサファ」で、赤緑はバグらせて遊ぶ旧作のポジション。

 

時代背景

  • 一般企業のWebサイトがそろそろ立ち上げ始められる。
  • i-mode、EZ WEB、J-スカイという、携帯各社のWebサービスが始まる。
    • 携帯のプラットフォームは各社内で閉じていた。
    • インターネットには接続できない。
  • 携帯電話で写真を添付したメール「写メール」が送れるようになる。
    • 1999年J-PHONEから世界初の写メールができる携帯が発売。
  • 地デジ化が始まろうとしていた頃。
  • 2002年から完全週休2日制。だから土曜日に学校に行った記憶がある。
  • ポンキッキーズは土曜の朝6時。ニチアサはまだ朝7時から9時。

 

 

 

Flash文化

Flash動画

ブロードバンド(死語)時代、マルチメディア(死語)でインタラクティブ(死語)なコンテンツを楽しめるフレームワークFlashがあった。

当初はFlash MX(有償)でしか制作できなかったが、無料ソフトのparafla!が出てから裾野が大きく広がった。

Flash動画の文化、今でも語り継がれるよね??なんの動画があったかは、ニコニコ動画で調べてください。まとめ動画があるから。

じゃあそうした動画をどこで見つけてくるかといえば

  • 2chFlashスレ(作者が投稿する)
  • Flashの「祭り」

二次流通なら

である。当時小学生だったのでもれなく後者であった。

 

同じクラスの誰かがどこからか動画を探してきて、各教室に1台あったPCにみんな寄ってたかってそれを見た。

「トゥトゥトゥマシェリーマーシェーリー」とかインド人?が著しく歪みながら歌を歌うやつ、ドラえもん・ドラミちゃん、ギャバン、ウォーリーを探さないで、赤い部屋、小小系列、西日暮里ブルースなどなど、同じ動画を何度も何度も見た。

休み時間ごとにつけたり消したりしたせいか、教室のPCが1年で2回壊れた。

 

10年以上経ってDORAEMOOOON!を元ネタにしたMAD動画を1つ下の後輩が作ったとき、元ネタがわかったのは、ぼくとぼくの1つ上の先輩だけだった。20人くらいで一緒に見たのに。時代やね。

 

Flash音ゲー

2003年~2005年にかけては、メジャー音ゲーのフォロワーみたいなFlash音ゲーが増えた。

私はダンおにを作っていました。2023年もまだコミュニティあります!!!!遊んでください!!!

ダンおにのピークは、2004年~2009年頃だと思う。iso氏やKimera氏が夏や冬の祭りを大きく盛り上げてくれたとき、祭りに出張ってくる制作者は200人くらいいた。盛り上がりはすごかったなぁ(遠い目)。冬の祭りに熱中しすぎた結果、数日寝込むひどい風邪をひいたのも思い出です。あの日人生で初めて点滴を受けた。

 

 

自作HP文化

自分のHPをつくって情報発信しよう、それがモダン!みたいな風潮があった。

プロバイダーを契約すると、自分のメールアドレスとHPサーバ領域がついてくることがよくあった。加えて、FC2、geocities、TOK2、忍者、infoseekなどの大手無料サーバ、「勉強用」と称した大量の個人サーバ、さくらやロリポップ、XServerといった今もある有料サーバなど、まさに群雄割拠であった。

有料サーバは現在も多くが残る。しかしそもそもHPを作るのは趣味的に情報発信するためだから、その役割をSNSにゆずった今や、無料サーバやプロバイダ付帯のサーバは徐々にサービスを終了しつつある。

そんな自作HP文化を思い出してみる。

 

自作HPをつくるツール

「FMV」などに入っていることの多いホームページビルダーが筆頭。HTMLのヘッダとか、「戻る」ボタンの感じとかでなんとなくビルダー感を感じていた。

メモ帳でHTMLを手打ちしてFTPでサーバに上げるのもよくある手法。というか当時のテキストサイトのほとんどがそれでは。

WordPress(使えるサーバなら)とかブログとか流行りだしたらみんなそっち行ったよね。

 

自作HPにありがちなあれこれ

誰が旗を振るわけでもなく、どの個人HPにもあった要素。あーあったなそれ!って思い出したい。雑多に並べちゃう。

  • 隠しリンク
    • イラストサイトやゲームサイトにはよくあった。
    • リンクを背景を同じ色にしてわからなくしておいたり(文章を反転させるとリンクが浮き出てくる)、普通の文章に紛れ込ませてあったり、HTMLのソースにコメントアウトで書いてあったり。
  • 右クリック禁止
    • これもイラストサイトによくあった。右クリック保存を防止したいがためのもの。
    • だけどもみんなキャッシュから取得するすべを知っているのでほぼ無意味。
  • MIDIのBGM
    • かっこいいサイトにはBGMがほしくなる! だけども実際は爆音でしょぼいサウンドが流れ出す(Windows標準の音源がしょぼいから)
    • サイトにアクセスした瞬間HDDがうなりだすので、やってんなあ!とすぐわかる サイトが重いので嫌いだった
    • MIDIサイトの文化もあった(後述)
  • マウスポインタについてくる謎エフェクト
    • かっこいい・・・ことはなく、だいたい重いかうっとうしい
  • クソ重い画像
    • 1MBの画像はとても重い!! 10KB単位にしてほしい!
    • リサイズや減色していない画像、知識不足でbmpのままだったりすると、ダウンロードが終わるまで、じりじり表示される画像を眺めながら待つはめになる
    • 今も運営が適当なサイトだとよくあるけど、ダウンロードが十分に早いのであまり問題にならない
  • 掲示板とチャット
    • 自作HPの主目的が情報発信とコミュニケーションにあるから、内輪で話せるチャットや掲示板は必須!
    • teacup、fc2、jbbs(したらば)にリンクを張ったり
    • サーバによっては配布CGI掲示板もよくあった!(ぼくもやった)
  • 100の質問 バトン
    • 大体途中で疲れて他人にぶん投げている
  • @避け
    • 連絡先メールアドレスの「@(アットマーク)」を別の記号に置き換えて記載する方法。スパムメール対策。
    • これをやりだすのは、牧歌的なインターネット(2003~2004年くらいかな)を過ぎてから。
  • Webリング

    • 〇〇同盟などと書いてあるバナーを貼って、同じような気持ちのユーザーとゆるくつながる遊びみたいなもの。

    • 時間ねぇ~同盟、人権擁護法案反対あたりが当時よくあった。

    • 実用的なものとして、同じようなジャンルのサイトが登録しあっていたパターンもあった。ぼくが入り浸っていた音楽ゲーム「ダンおに」のサイトが登録する「ダンおにリング」なんかもあった。
  • Web拍手

    • HPの管理者に賛辞を伝えるボタン
    • ちょっとしたコメントも送れたので、今で言うマシュマロ、質問箱に近い。
  • アクセスカウンター、キリ番リクエス

    • todayはだいたい1か2(自分のアクセス)、累計は100くらいがせいぜいじゃないですか。
    • キリのいい番号=キリ番を設定して、アクセスカウンターがその番号だったときにコンテンツをリクエストできる制度。リクエストが無駄に強制だったり(=キリ番踏み逃げ禁止)、キリ番リクエストが放置されてたりなのが個人サイトクオリティ。

当時の無料サーバ

geocities、ninja、どっちも1ファイル3M制限くらいだった。

FC2やTOK2は広告が多すぎ&容量小さすぎ

Infoseek、livedoor、その他無数の個人サイト・・・。

結局忍者しか残ってない・・・こわい・・・。

 

あと当時の無料レンタルサーバは多数アクセスに弱くて容量が少なかったので、ミラーサイト複数アカウントに分割されたサイトはざらにあった。

とくに分割サイトは厄介で、ファイル管理が個人に委ねられているので場所によってはどこになにがあるやら魔窟状態に・・・。geocitiesが死ぬときに一部データ・アーカイブしたんですけど、分割サイトの事情を知らないとまったく何もアーカイブできないくらいにはすごい状態だった。

 

自作HPのゲーム

FlashJavascriptのゲームはよくあった。Flashはさっき書いた。でも当時しか遊べなかったものといえば「CGIゲーム」じゃないかな??

「SOLD OUT」は当時めちゃめちゃ流行った。資源を集めてクラフトして店で売る、というゲーム。売り物を変えたりパラメータを変えたりしていろんな種類があった。ぼくはうどん・そばを売るSOLD OUTサーバでずっと遊んでた。

 

掲示板が流行っていたので、自作HPでも置けるようにCGIが動く環境を提供していたサーバも結構あった。でもアクセスが集中してサーバに負荷がかかるとBANされちゃうこともあったのはご愛嬌。

 

配信はPodcast

したらばBBSに個人のpodcastを上げる掲示板的なものがあった。

今ほど簡単な配信機器が売っている時代じゃなかったから、とりあえずPCにマイクを刺すのが関の山。BGMを入れたければPCの音声ドライバが「ステレオミキサー」を持っていないとだめだった!これがないと音声が回っちゃうのであった。

RealTekのナントカだとあるとかないとか、そういう情報が出回っていた気がする。

そして友達とSkypeをつないで「ダンおに」界隈向けにラジオをやってみたこともあった。結構楽しかった。

今はYouTube Live、twitch、ニコ生などなんでもあるけど、Podcastも一周回って公式音声メディアとして残っているのが面白いよね。

一周回って残っているといえば、RSSリーダもそうじゃないかな~。2006年くらいにブログの新着情報を配信するのによく使われてた気がする。いまも地味に便利ということで根強く残ってたり・・・。

 

 

 

2ch文化とネチケット

具体的な歴史はWikipediaにまとめられているのでそちらを見た方がいい。

当時のネット民で、コミュニティを欲する層はほぼ2chユーザーと言ってよい。2022年現在の日本語環境twitterよりも層が網羅的である。(と書いてたら2023年にXになっ色々変わっちゃった)

2ch初でいま消えた文化

これは

  • h抜き
  • 炎上ではなく祭り
  • sage進行

あたりかな。

h抜きはリンク先のサイトに負荷をかけたくない、あるいはリンク元2chとバレたくないという気持ちがあったはず。

炎上ではなく祭り・・・これはいまとまったく精神性が異なる点と言っていい。有名人が不祥事を起こしたとき、それを面白おかしく脚色してみんなで盛り上がる文化があった。例えば田代まさし覚せい剤で捕まった事件はその最たる例。現在ならば正義を気取った輩がよってたかって袋叩きにするのがオチ。行為自体はどっちもどっちだけれども、精神性としてはかつての2chのほうが望ましいと思う。

田代砲も使って「祭り」が大規模に広がったのは、ポケモン人気投票にコイルがでっちあげられたのが最後だと思う。(なんでや!コイルかわいいやろ!4コマの主人公やぞ!!)

sage進行は、スレッドの書き込みをしても新着表示(スレ上げ)しない設定のこと。これはなんでだろう、アングラ的な自覚があったのかもしれない。

 

2ch初でいまでも残っている文化

  • jk
  • 「笑い」の短縮表示

が主に挙がるだろう。

jk・・・文脈次第で「常識的に考えて」→「常考」と「女子高生」の略を使い分けていた。いまは「女子高生」の意味だけ残った。

「笑い」・・・笑→藁→wara→w→wwwww→草 と変遷した。確か「藁」が出てきた時点で「www」の表現を予言した書き込みがどっかにあった。サーバー→鯖、アカウント→垢などの隠語もまあまあ残ってる希ガス(死語)

 

ところで、海外サイト閲覧のハードルは現在より高かった。大陸間の伝送路が細くてダウンロードがほんとうに遅かったし、Unicodeなんて普及していないから文字化けも多発した。そんなわけで現在よりも文化は国ごとに閉じやすい。

文字化けが起こりやすいから半角カナを避ける、みたいな知識だけはだいたいみんな持っていた。今も半角カナを明示的に避ける人は2000年代のネット民である。気にしない人は現代人、むしろ半角カナを積極的に使う人はケータイ民か古のSIerである(偏見)。

 

こうした小さなこだわりが積み重なって、当時の2chにおける「ネチケット」、ひいてはヌクモリティにつながっていたのかもなと思う。

 

 

いろんなコンテンツ

ニコニコ動画が2007年に立ち上がってしばらくしてからも、コンテンツは勝手な使い・使われが割と当たり前だった。その代わりマナーを守ってね、といった感じ。場所によっては金銭のやり取りもあったとは思うけど。

音楽はどこで?

muzieSoundCloud、個人HPだった。

muzieでは夜姫と熊猫と志方あきこが両横綱だった。

個人HPで多かったのはやっぱりBMS界隈か?keep on lovin' you(kuri-zill)とかEasypopとかボーカル付きもあったけど。知る人が生き残っててほしい、Easypopのボカロ以前のこと。結構聞いてました。

JASRAC嫌悪

2000年代は、ネット界隈でのJASRAC嫌悪はかなり根強かった。これは書かざるを得ない。

このJASRAC嫌悪=著作権料をせびる金に汚い権力者というイメージは、2001年頃までにMIDI文化を壊滅に追いやったとしてネット民から明確な「敵」認定をされていたことから。

MIDI文化は、自作曲のMIDIだけでなく既存曲の耳コピMIDIのやりとりもあって発達していた。当然無料ベースのやりとり。ここにJASRACが乗り込んできて、法外な著作権料を請求してきて、これじゃやってられないわと制作者がみんなやめてMIDI文化はあっけなく崩壊した。

今の感覚に基づいてJASRACの肩を持つなら、法外な・・・相場通りのはずだし、そもそも曲使うならお金払ってくださいよ、となるわけだが。

ユーザーにとっては、無料で内輪で(ここ重要!)ぼちぼち楽しんでいただけのにどうして?ってなるわけですね。でも実際はインターネット=世界に出ているから意識せずとも公衆送信権を侵していたわけ。

なおMIDI狩りが始まったのは、2001年頃にはNapsterWinMX、各種アップローダでメジャー流通の音楽ファイルがやりとりされる現状が無視できなくなったことはあるはずと付しておきます。

 

これは後世に間違いなく影響を残していて、いまニコ動やYouTubeに「歌ってみた」「弾いてみた」をアップしても問題ないのは、ニコ動やYouTubeが代わりに著作権料を払っているからなわけで、著作権料を個人にいちいち請求していると、請求する側もされる側も全く立ち行かなくなることが、2001年に証明されてるからなんですね。

2008年頃に「みくみくにしてあげる」がJASRAC信託する(当時CD化するなら当たり前だった)とわかったときに炎上しまくった事件もあって、これはJASRACへ信託する範囲のスタンダードが変わった事件でした。

すべてMIDI事件に繋がっているのだ!

 

なつかしのテキストサイトあれこれ

画像も音楽もろくに置けない当時のWebは、文字情報のやり取りが大半を占める。そして個人発のテキストサイトが流行ったのだ。

ろじぱら侍魂numeriが三大巨頭のイメージ。ろじぱらがまだ更新あるの末恐ろしい・・・。あと僕秩もあった。

numeriの中の人(pato)はWebライターとして今もバズってる時がある。

侍魂から始まったテキストでやたら装飾する文化(フォントサイズ、色、改行で表現)は、本当に真似する人が多かった。なんなら侍魂知らないときから自分のブログで真似してたし。(元ネタを知ったのは侍魂の最末期だった)

 

自作HPだけじゃない!携帯サイト

やっぱり前略プロフィールでしょ!今で言えばtwipro? と書いたところで今はもうXなんだった・・・となっちゃった。

ほかに2000年代なかば以降の流行りとしては、携帯小説魔法のiらんど)、アメーバピグ、チャリ走(docomoケータイで動くゲーム)あたり? 個人的にはあんまりアクセスしてない範囲なので省略。

 

 

学研の「学習」に載っていたゲームサイト

当時はまだ「学研さん」の販路が残っていて、学研の「学習」はコロコロコミックと並んで小学生の重要な情報源であった。でもシェア的にはコロコロ・ジャンプ>>学研って感じだったと思う。

2002年頃かな、学研が載せていたゲームサイトは「ハンゲーム」や「ぱんぞう屋」であった。

「ぱんぞう屋」はShockwaveで作られていたゲームが多数あったことが特筆すべきポイント。

さて、Shockwaveについて軽く触れておきたい。Shockwaveの開発元はその後Macromediaに買収されてFlashに吸収消滅。そしてそのMacromediaAdobeに買収され、さらにFlash自体が2020年12月に滅亡した。Shockwaveの売りは「マルチメディア」(死語)。画像や音楽などを組み合わせてインタラクティブ(死語)に動かせるコンテンツを作れるよ、ということ。いまや当たり前の話で、Flash滅亡まで考えると現代では発展的消滅をみたということか。

ハンゲーム」は、当時流行った「トリックスター」とか「メイプルストーリー」のサービス提供プラットフォーム。ゲーム製作会社・NEXONとも繋がりがあって、ハンゲーム経由のログインが可能だった。*1

ハンゲームの運営会社は韓国のNHNで、LINEの設立母体につながるよ。今のLINEは登記上は日本の会社。

 

ここでついでなので、当時のネトゲについて、知る限り触れておく。

 

 

テキスト文化の終わり

2000年代後半になるとブログが流行りだした。

一時期群雄割拠でした。いまはなきInfoseek、cocolog・・・もはやFC2とAmebalivedoorばっかになった

2chではVIP板でのアンカスレが流行った。これは「>>10の書き込みにあったものを食べる」とか、未来のレス番にスレの流れを託す感じのやつ。

これに付随して2chの流れが早いスレをまとめた「まとめブログ」も増えた。アフィリエイト収入で食えるようになってきて、元ネタがタダなのに金儲けなんて、とスレ民からひんしゅくを買って「アフィカス」とか呼ばれるようになった。

板によっては最終的には基本転載ダメやで、とローカルルールを作ってみたり。

 

こうしたテキスト文化も、YouTubeやニコ動がはやるとそっちのコメントに徐々に移っていった。いまやまとめブログの記事も、元の5chのスレがしょぼいから・・・。

 

ガラケーで見るニコニコ動画

携帯料金と一緒にニコ動のプレミアム会員費用が払えたので、携帯で見ていた人もまあまあいた。

docomoは問題なく見れたかな

ぼくの使っていたSoftbankは記憶がない(パケ死するのが嫌で見てなかった)

auが一番傑作で、ボタン操作1回で送受信できるデータが30KBとかで決まってたので、動画見ている間ずっと決定ボタンを連打する必要があった。動画を見終わるとカラオケよろしく消費カロリーが出た。アホだ(褒め言葉)。

 

携帯動画変換君

ケータイやPSP(重要)によって外で動画が見られるようになると、変換するためのソフトが流行りだす。中身ffmpeg携帯動画変換君はマストアイテムだった。

外でなんの動画を見るって?ニコ動のMADよ。あとはゴニョニョな動画。PT3とかBONはまだぬるい方よ。stage6とかもありましたね。なんかこう、表の動画はフェイクなんですよ。

 

 

学校裏サイト

少し調べれば簡単に自作HPを作れるようになった時代。当然、近い人間同士で会話できるコミュニティを作る流れになるわけで、学生ならばクラスや学年のサイトを作るわけである。いわゆる学校裏サイトである。

しかし学校裏サイトは、教師や親、場合によっては本人のしらない場所で、陰湿ないじめなどをもたらす可能性があるとして、負のニュアンスでメディアに取り上げられることもあった。(※携帯のメールも同様)

悪く取り上げられたのは、インターネットというよくわからないツールに対する嫌悪感に近いものが原因と思う。いじめ自体はツールによらず、現代のSNSだって同じことが起こりうるし、仲間内で交換日記していても同様。もしかすると、鍵垢にできる現代のSNSのほうがたちが悪いかもしれない。結局はツールの使い方や他人との接し方を、大人が学生に諭すことが大切なはず。

 

多分にもれず、ぼくらも2005年・中学1年生のときクラスの掲示板を作って毎晩毎晩アホ話をしていた。

掲示板は大繁盛で1日500レス以上が付き、数十時間のうちにログが流れるほどとなった。ログが流れるのを嫌ってteacup→したらば→レンタルサーバCGIという流れで移動した記憶がある。

また、上述のように学校裏サイトが悪いニュアンスで報道されていることを知っていた管理者たるぼくは、アホ話のできる場所を守るため、大人の誤解を招かないため、そして部外者の侵入を防ぐために、いくつかの対策を取っていた(意味があったかどうかは知らない)。

  • レンタルサーバに移ってからは、HPのアドレス(ディレクトリ名)を著しく長くした。検索避けに近いもので、URLの推測によるアクセスを防ぐため。
  • パスワードを設定した。
  • 親にばれたときのために、管理者(=ぼく)の情報を、個人情報をぼかしつつ当事者には同定できるように記載した。学校の何年何組何番のものが管理しています、という情報と連絡先メールアドレスを記載した。

そして掲示板を開設して数ヶ月経ったころ、その存在が担任にばれた。管理者情報を書いていたので、ぼくが呼び出しを食らった。答え方いかんによっては掲示板存続の危機である。

しかし当時のぼくは普通にいい子ちゃんだったので、担任に「他愛のない話しかしてないやろ?」と聞かれ「はいそうです!!」と言い張って(実際そうだったし)お咎めなしとなり、掲示板存続の危機はあっさりと去ったのであった。

 

そして時代はブログへ・・・

そんな掲示板はクラス替えを経て次の年くらいまでは繁盛していたけれども、その頃から学校でブログ(CURURU)が流行りだしたので、大体のユーザーがそっちに移行して徐々に忘れ去られていった。*2

掲示板は5年くらいはずっと残っていたんだけど、ある日アクセスしたらサーバのアカウントごと消えていて少し悲しくなった。

ちなみにCURURUもだいぶ前に死んだ。万年ベータサービスだったけど使いやすかったんだけどなぁ、なんか異様に中高生が多い危険なSNSだったような気も・・・。

 

この流れで言うけど、最近は「YouTubeにあがってる右翼や陰謀論動画に高齢者の親がハマる」なんて笑えない話が話題になる。でも当時のぼくもgeocitiesにあった真偽不明のテキストをソースにハマりかけました。

当時14歳、悪びれることもなくCURURUネトウヨ知識(大日本帝国がどうだ韓国がどうだなど)をひけらかしたとき、コメント欄に「まだ若い番人さん(*私)には、一つの視点に囚われずぜひ幅広い知識を得てください」的なことを残してくれた通りすがりの人がいた。これには今も覚えてるくらいに本当に感謝している。あーそういう類なのかと早々に目が覚めた。そういえばレスバが醜いと認識したのもCURURUでリア友が諌めてくれたことがきっかけだった。

ちなみに翌年、自分のルーツにかの国があると知るところまでがオチです。(ネトウヨ的な文脈で揉めると嫌なので、この話は必要な人にだけすることにしているけど、大概は賢明な方ばかりなので気にされたことはありません。)

 

群雄割拠

メーラー

なおThunderbirdはまだない。

ブラウザ

InternetExplorer vs Netscapeは90年代の終わりにあったらしい。自分がネットを見始めた頃にはもはや歴史になっていた。

ぼくの頃は、

あたりが戦っていた。IE6まではタブブラウザじゃなかったので、それをタブブラウザとして使うためにLunascapeとかがあった。動作は重かった。

しかし2000年代後半になってChromeが現れてさっそうとすべてを奪っていったのだった。

(1年くらい前、Donutというワードを10年ぶりくらいに聞いてヒュッとなった。かつて使ってたんですよ~)

メディアプレーヤー

まずみんなが使っていたのは

あたりじゃないですか?

WMPはVer7からなんかリッチな感じで重くなってきたので、Windowsカーネルにこっそり残されているWMP6.4をずっと使う文化がちょっとあった。このデザインをベースに高機能化していまだに残っているのがWindows Media Player Classicの系譜ですよね。

Real Playerは謎にアメリカの広告がうざいくらい入っていた。うっかりメアドを教えると楽天とタメを張れるくらいのメルマガが送られてきた。でも当時の微妙なストリーミング動画だと.rm形式だったりしたんだよなぁ。あるいはwmv(Sliverlight)か。

winampはCDをリッピング(死語)してPCにライブラリを作って、プレイリスト作って・・・をするためのソフト。スキンのきせかえとかめっちゃあった。

 

2000年代後半になると

あたりの名前が売れてくる。

iTunesは言わずもがな。当時iPod NanoやShuffleが出てくると爆発的に流行ったので、iTunesも当然みんな使っていた。Windowsで動かすと動作が超重かったけど現代でも同じでげんなりはする。

GOM PlayerVLCは当時としては動作が軽いことが売りだった。ニコ動なんかGOM Player推しばっかりだった。

 

そういえば、中学時代の担任が使っていた学校PCを借りたとき、HDDほぼ満杯にiTunesライブラリが入っていたときはアーコレってなった。そもそもPCを生徒に貸すとか、私物利用とか実にゆるい時代であった・・・。(当時でもわりとダメなタイプだとは思う)

 

PC

が有名じゃないかな?

NECは「バザールでござーる~」でCM打ちまくって有名だったが、今でもキャラクターが残っててビビる。逆にいま表に出てないの寂しいね・・・遊びがない感じで・・・。

jpn.nec.com

富士通PCといえば、象のエアホッケーとか、サンリオのゲームパックとか、妙に渋い声でチーと鳴く麻雀ゲームとか、いろいろはいってたなぁ(遠い目)

ちなみに象のエアホッケーは、令和でも遊べます。

www.microsoft.com

 

 

参考リンク

www.cpi.ad.jp

 

あとは気が向いたら加筆修正する。

加筆修正と項目順の入れ替えをした(2023/12/27)

*1:ちなみにNEXONは運営体制がボロボロで、ネクソ、ネ糞、と言われていた

*2:情報公開範囲の管理が個人次第になったから、ブログのほうが怖くねとは思う

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?(2014年・わたしの視点)

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」というドキュメント本が2014年に刊行されているのですが、今更ながらこの本を読んでみました。

すると、当時いちユーザーとして私が感じていた内容がうまく汲み取られていて、まさに私自身が書いたのではないかと錯覚する程度に同意できる形で、初音ミク世界の立ち上がりがまとめられていました。

現在刊行中の第3版は、YOASABIやAdoといった2020年代に活躍するアーティストについても触れた補記もついています。

 

 

 

ところで私も2014年11月、大学時代に初音ミクがなぜ流行ったのか稚拙な文章ながらまとめたことがあります。所属していたサークルのフリーペーパーに編集長権限で載せて3000部も刷ってしまいました。12000字くらいあるのに。

これを2023年の今、もう一度供養がてら掲載したいと思います。

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」でまとめられている内容と、結構重複するところに自分自身驚いています。けっして当時この本を参照して論考したわけではありませんが、発行年は同じです。

 

この先、当時の文章のコピペです。なお、誤字脱字などは一部修正しました。注釈部分のリンクは当時のままとするので、リンク切れはご容赦いただきます。

なお本文章は、当時初音ミクの公式イラストを冊子で使用するために、クリプトン社に確認いただいています。

続きを読む

2024年以降も歌い継ぎたい初期のボカロ曲

2023年8月31日、初音ミクが16歳になる。

 

以前の記事に書いたように、私の中学~高校の青春時代はボカロ界隈の立ち上がりと一緒に走り抜けた。

bannninnn.hatenablog.com

 

2010年頃までのエポックメイキングな曲の中から、10年以上経った今聞いてもきっと普遍的に、誰かの心に届く選りすぐりの名曲を改めてリストアップして、次世代につなげたい。

簡単に曲紹介するからとにかく聞け!のスタンス!  というか基本今でも自分が聞くかカラオケで入れる曲ですわ。

 

 

 

Just Be Friends / Dixie Flatline

Dixie Flatline氏作曲、失恋ソングの代表その1

ふと口ずさんだときのしっくり感が異常。

 

 

Calc. / ジミーサムP

ジミーサムP作曲、失恋ソングの代表その2

Yさん3部作と言われていて、Pierrotとfrom Y to Yも合わせて聞きましょう。

 

 

 

右肩の蝶 / のりぴー

90年代サウンド光るナンバー。鏡音レンバージョンの右肩の蝶がアンサーソング的に存在しているのでそちらも合わせて。個人的にはオリジナル(?)のリンバージョンのほうがすき。

イラストの秋赤音氏はいまも活躍中。

 

 

celluloid

初音ミク最初期の名曲。

 

 

ダブルラリアット / アゴアニキ

タイトルこそ意表をつくが、実は自分の手の届く範囲の愛を語る。

かつて存在したニコニコムービーメーカーでアップされた動画。最終フレーム手前で一時停止してしばらく待つと、キャラクターが動き出すというギミックがあって話題となった。これはニコニコムービーメーカーを使用するとFlash形式でアップされる仕様があって、この穴を突いて自作スクリプトでギミックを仕込むことができたためだ。

現在のブラウザはFlashのサポートを終了し、ニコニコも通常の動画形式に変換してしまったので、もうギミックが動くことはない。

 

 

モノクロ・ブルースカイ / のぼる↑

陰鬱なAメロ、ちょっと前向きなBメロ、あけすけに明るいサビの流れが印象的な1曲。目の前のモヤが晴れるような感じの楽曲。

 

 

 

 

ラクルペイント / OSTER project

歴史を語る上で外せない1曲。初音ミク発売からわずか3ヶ月で使いこなしてスキャットを歌わせたという点が当時大きな驚きだった。

発売2ヶ月程度は初音ミクはまだ得体のしれないもの・面白半分で使われている側面があって、カバー曲を歌わせてみたりネギ持たせたり(Ievan Polkka)さまざまだった。その玉石混交の中でこの曲が放り込まれたらひときわ輝いて見える!

 

 

 

Packaged / kz

頭に染み付いたkz(livetune)氏の曲といえば、ライブ定番のHand in Handではなくて、Packagedです!!

みんなに愛される初音ミクの原点を感じる1曲。今も褪せないきらびやかな4つ打ちサウンドが心に響く。他の曲も全て心地良いので投稿一覧をぜひdigしてほしい。

 

 

 

ハジメテノオト / malo

当時の初音ミクへの気持ちを端的に表している曲といえばこれ、なんだけど、それを抜きにしてピュアな気持ちが伝わってこないか??

こんな感じの初音ミクのイメージを形作ったとファンが感じた楽曲が、こちらのニコニコ大百科にまとまっている。ぜひリンクを覗いて聞いてほしい!

dic.nicovideo.jp

 

この辺でほんのりわかっていただきたいのが、

昔からボカロを見てきたファンが「ミクさん」とさん付けするのは、いろいろミクさんのことをおもちゃにしながらも、あくまで曲を歌っていただいているという精神、ある種の偶像信仰があるからなんですね・・・。*1

 

 

つづけましょう。

ODDS&ENDS / ryo

(動画は転載注意)

2作目「メルト」でスマッシュヒットをかまし、その後出す曲すべてが100万再生超え、メジャーデビュー1曲目「君の知らない物語」はアニメ「化物語」のEDに抜擢。1stアルバム「supercell」は10万枚以上を売り上げ、ゴールドディスクに認定された。それがryo氏だ。

急速に注目されたクリエイターが、急速に拡大したSNS社会の中で何を思うか、初音ミクとの関係性を絡めて語る一種の自伝的楽曲である。*2

 

 

 

サイハテ / 小林オニキス

しめやかな別れをポップに歌い上げる1曲。

当時すてきなMVがついていて、かつ緑色以外のミクさんが描かれているのが珍しく、その点でも目を引いた記憶がある。

 

 

 

僕みたいな君、君みたいな僕 / DECO*27

今もときめくDECO*27氏の1stアルバム「相愛性理論」から1曲。この1stアルバムに収録されている曲は、今よりも少しピュアな感情と遊び心が詰まっているのでぜひ聞きましょう。

 

 

Melody in the sky / 40㍍P

プロセカに入っているのは書き下ろしとトリノコシティ。あわせてこちらもdigしてみてほしい。爽やかなサビが印象的。

 

 

夕日坂 / doriko

この曲を入れるかどうかは、実は少し悩ましいところだった。

doriko氏がバラードの名手と呼ばれる地位を確立した曲だし、当時ボカロ曲のバラードの定番にもなっていたし、何より今話題になるdoriko氏の曲がロミオとシンデレラだけなのがもったいないと思ってここに記した。

なお10年後の私に宛てたアンサーソングletter songも合わせてどうぞ。ちなみに私がdoriko氏の曲で一番好きなのはキャットフードです。

 

 

 

ワールズエンド・ダンスホール / wowaka

wowaka氏が人気絶頂のさなかに公開した楽曲。歌ってみた、PVなど関連動画がものすごい勢いでアップされた。

ボカロ界隈からメジャーシーンに移って人口に膾炙したのは、米津玄師(ハチ)やYOASOBI(作曲がAyase)が最初に挙げられようが、その他にもバックグラウンドをボカロ界隈、ひいては動画投稿サイトに持つ人は多数いる。

2010年当時、この2人に匹敵する人気を誇っていたのがwowakaである。「ボカロっぽい」高速BPMの流れを作った本人である*3。間違いなくボカロシーンを先頭で引っ張っていた。その後2011年からはヒトリエというバンドを結成して活動していた。しかし2019年の全国ツアー中、彼は急逝する。ワールズエンド・ダンスホールを書いて9年後、31歳の若さであった。

 

動画投稿サイトには制作者本人がアップロードする。本人が亡くなってしまったら、そのアカウントや動画はどうなるのだろう。YouTubeや近年のSNSでは最後のアクセスから数年が経ったアカウントを運営が消してもよいという規約がある。

だからこそしっかり歌い継いでいかなければならないのだ。

個人的にニコニコ動画には、粋な対応を期待している。

 

 

 

ルカルカ★ナイトフィーバー / samfree

samfree氏作曲のダンスナンバー。いまでもライブ演奏される人気。これもやはり「踊ってみた」「歌ってみた」での人気が非常に高かった。愛川こずえ氏の振り付けはいまでも使われているはず。実谷なな氏の歌ってみたが11年後に再アップされていて泣いた。

作曲のsamfree氏は2015年に急逝してしまった。ぜひ歌い継いでいきたい。

 

 

 

アストロノーツ / 椎名もた(ぽわぽわP)

シューゲイザーサウンドに乗せて、一語一語大切にしながら、伝えきれないものを伝えようとするさまが伝わってくる。

椎名もた氏は卓越した才を発揮しつつも2015年、20歳でこの世を去る。そして何かを抱えている人にこの曲はきっと受け継がれていく。

なお、死後の2019年にまさかの新アルバム「故に。」が発売されている。未発表曲を集めたこちらも名盤なのでぜひ。

 

 

 

いーあるふぁんくらぶ / みきとP

これだけちょっと時代が下るし、いまも人気だけどリストに上げておく。個人的には挙げられる地名が「神戸中央区元町」なのがとてもいい。横浜じゃないんだよ!神戸にはなんとなく日常に根付く中華的な文化の香りがありましてね(以下略)

曲のイラストを書いた絵師が横槍メンゴ(推しの子の作画担当)であるということが定期的に話題になる。

 

 

 

なお当時曲の広まりに大きな役割を果たしていたのは「ぼからん」だった。あわせて当時のぼからんもチェックしてほしい。

dic.nicovideo.jp

 

まとめ

どんどん新しい曲がヒットを飛ばしているから最近は目立たないかもしれないれど、当時の人気はすごかったんだよ、といえる曲を未来にもつなげたい。

当時確実に人気があって、かつ初音ミクの歴史上重要かどうかは関係なく普遍的にエモーショナルな曲というのが一応の選曲基準。*4

 

メジャー流通しているタイトルなら、音楽番組とかクイズ番組とか、マスコミ的な手によって次世代も触れる機会があるかもしれない。あるいはSpotifyやAppleMusicのプレイリストにまとめられたりとかね。

しかし文中でも触れたとおり、ボカロ曲はユーザー主導で広まったコンテンツだ。どれだけ人気な曲でもある日突然インターネット上から完全に消えてしまう可能性がある。アマチュアの集合体だった2010年頃までのボカロ界隈の曲を今後も歌い継いでいくには、当時の空気を一緒に作ったわれわれ自身が、記憶が散逸する前にまとめるべきと勝手に考えて、今回リストにまとめてみた。当時一緒にニコニコにいた皆さんにとっては当たり前すぎる楽曲かもしれないけど、もう当たり前にみんなが知っている曲ではないんだよね。

muzieBMS、東方みたいな他の同人コミュニティの曲に対してもすごく思う)

 

ボカロにおいてはプロセカがその一端を担っている現状だけど、いずれサ終しないとも限らないし(まあはてなも同じか)、収録曲が基本音ゲ向きの曲だけだし・・・

 

そして2010年代半ば以降の曲もきっといつか同じ必要性に直面する。きっと裾野の広がった時代だ。まとめるのは大変だと思うが、いずれぜひ見たいと思う。しかし私のアンテナはもはや比較的低くなってしまったので、近年の曲と青春をともにしたはずの現在20歳前後の人にその役割を譲りたい。

 

 

 

 

ちなみにここに上げた楽曲についてのご意見は参考と記憶の補助的にお受けします。ただ、リストはあくまで私の独断と偏見に基づくのでご了承ください。

 

*1:あえてここで注釈すると、当初歌ってみたが忌避されたのは、このリスペクト/信仰と空気が合わなかったことや、リアルの世界が持ち込まれることへのリスクへの恐れがあったように思います。なんかモヤッとした感想ですが。

*2:クリエイター讃歌に近いメッセージは、マジカルミライのテーマ曲がわかりやすい。「ブレス・ユア・ブレス」「愛されなくても君がいる」である。

*3:当時はwowaka氏の書く曲は歌い手泣かせの扱いだったが、2023年現在の人気曲~ツミキ氏が例~は音節の区切りがよりテクニカルになって音程の上下も激しい。今の曲のほうが歌うのが難しいと思う。

*4:めっちゃ補足の裏基準です。1.時事性やミーム性の強い楽曲は避けています。いつの時代に生きる人にも届く曲を揃えたいためです。2.自傷的な曲は避けたつもりです。個人的な印象ですが、自傷性・内向性を安易に表現することはアマチュア界では辟易するくらいよく陥ることなんです。これが洗練された形で表現されていないものは、いくら支持を集めていても万人にはおすすめしづらいと考えたためです。

これまでのスマホ遍歴

完全に自分用メモですね。

 

SHARP GALAPAGOS SoftBank 003SH(2011年)

日本の携帯電話はガラケーという皮肉が出てきた頃に、自分からガラパゴスと名乗る強さ。

3D液晶と物理キーボード搭載。フリック入力?男なら黙ってキーボードだろ!と当時高校を卒業したばかりの若輩者ワシは購入したのだった。

 

恐ろしくバッテリーをドレインするスマホ(気づいたら残量10%)

バッテリー消費を止めるために機内モードにせざるを得ないスマホ

そして突然再起動するスマホ

起動画面の3D表示がバグって動かなくなるスマホ(電池を抜くしかない)

 

すばらしいガラパゴス性能でした。

なおキーボードを繰り出すギミックは素晴らしくなめらかだった。床に落としたときにバラバラになったけど。

 

 

 

Galaxy Note2(2013年)

家電量販店で触ってヌルヌル動くそのペン先に感動して購入。デュアルコアで素晴らしく快適に動く。やっぱり世界のGalaxyだわと思った。

当時(iPhone5s時代)はすげー!!画面でけーー!!と感動したけど、もはや5.5インチは普通になってしまった。

ちなみにペンとそれを使うメモアプリは、最初は面白がって使ったけど活用するには画面が小さいよなと思って(矛盾)使わなくなった。

 

 

SONY Xperia Z3 Compact(2015年)

大画面の反動か、今度はコンパクトモデル。

これは非常に良かったですね・・・。当時XperiaのZシリーズの評判が良かったんですね。でもこの世代はまだ指紋認証がないのが結構意外。当時はやっていたデレステがサクサク動いた(激アツだったのでエアコンの風を当てまくってプレイしていた)

でも2年くらい経つとGoogleMapでも引っ掛かりを感じるようになってきて買い替えに至った。多分当時中古市場に流せば良い値段で売れたと思うけど、なんか惜しくてまだ手元にある。

 

 

Huawei P10 lite(2017年)

2016年頃からMNPのキャッシュバックなどが厳しくなって、白ロム流通よりもそもそも安い「格安端末」が広まるようになった。

HuaweiのPシリーズもその一つ。2年前のフラッグシップ・Xperia Z3と触った感じがあんまり変わらなくて許容範囲やろと思って購入。性能は控えめだけど実際使ってみるとXperiaほど発熱しなくて、優秀な端末だなと思った。

半年くらいで砂利道に落としてバキバキに割ったので買い替え。

 

 

Galaxy S8(2018年)

っぱ世界のGalaxyやろ!!ということでS9が出る直前のS8を格安で購入。なんかAKGのイヤホンがついてきてお得だった。

ついでにauピタットプランにMNPしたのであった。

全体的に本当にそつなく使えて優等生な端末だった。薄くて細くて使い勝手が良い。画面エッジまで覆うTPUフィルムの良さとすぐ剥がれるダメさの両方を学んだ。

 

 

Pixel 4a(2020年)

フラッグシップではないけど、価格(42000円)とちょうどいいサイズ感が個人的にヒットして購入。Pixel3まではなんか妙に高級路線に走っていて、それの反動でちょうどいい感じのランクに戻ってきたのも良かった。

手に馴染むサイズ感で良かったけどバッテリーの少なさとヘタリがな・・・。

あとやっぱりミドルレンジのSoCだからひっかかりはあった。

 

Pixel6(2022年)

Pixel4aのバッテリーの弱さに困ってきたので買い替え。Pixel6aの発売日の話が聞こえてくる頃合いだったけど待てずに購入。

端末のスペックは悪くなかったけどフロントヘビー過ぎてしんどかった。あとケースつけると手に余るサイズだったので裸運用していたところ、買って2週間位で地面に落として萎えた。

 

 

Pixel7a(2023年)

Pixel6デカすぎやろと常々思っていたところ、ヨドバシで触ってこのサイズでええやんと思って買い替え。Tensorチップは悪くないけどゲームは若干引っかかるよね(iPad比)と思い始めた頃合い。

とにかくバッテリーがドレインされる

SHARPGALAPAGOSを彷彿とさせる爆熱&バッテリーの持たなさ

バッテリーの弱いPixel4aより圧倒的に持たない

これはいま本当に怒っていますよ!!!

なんでAndroid Autoで充電減るねん!!ケーブル繋いで充電してるやん!!

 

 

 

以後買い替えて気が向いたら追記

2023年にサクラ大戦1をプレイしたら 結構しんどかった

SEGA最新ハード・ドリームキャスト(DC)の中古を入手したので、サクラ大戦

DCリメイク版を遊んでみました。

 

発売当時絶大な人気を誇り、サクラ対戦・最後のリアル舞台ショウで、千秋楽公演が終わってもファンが別れを惜しんで誰も帰ろうとしなかったという伝説*1がその人気の大きさを物語ります。

檄!帝国華撃団の曲はもちろん知っていますが、プレイしたことはなかった!

まずはヒロインにさくらを選ぼうと思って好感度上げて1周目をクリア。そこまでで思ったことを書いてみます。

 

 

 

端的に言えばプレイした時代が悪かったといえましょう。

ゲームを楽しむより先に、現在と比べてしまってつらさを感じる場面がありました。キャラはいいんだけど・・・という。

でもこれは同時に、サクラ大戦の演出手法が現在のゲームに大きく影響してつながっている(現在はより洗練された)ことをきっと示しているはず。今やるとちょっと気になっちゃう評価になるけれど、当時サクラ大戦に熱狂した人々がたくさんいたのは事実。それゆえサクラ大戦が名作であるという評価に異論はないと思います。

余談

以前「季節を抱きしめて」をプレイしたときは、ストーリーの時代背景も1998年当時な感じだったので、演出やシステム含めこんなもんかと感じながらプレイできた。PCエンジン版のときメモをプレイしたときは、さすがにハードが古すぎて現代のゲーム演出との連続性がなかなか感じ取れず、これまたこんなもんかと感じながら遊べてしまった。

 

システム上のつらさ

バックログ機能がなかったり、戦闘パートのカーソル操作がもっさりだったり、これは現在と考え方とかハードスペック(元はSSだし)が違うから仕方ない・・・

同時期のやるドラシリーズもバックログないしね。

 

カンナ

CVが田中真弓氏です。

もうわかりますね? 残念ながら2023年に聞くとルフィです。武闘派なキャラ付けもあってカンナはルフィに脳内変換されます。(死なねぇ!鉄だから!!)

 

必殺技演出

ポケモンショック以前の作品なので、必殺技にパカパカ演出マリアさんの強化版必殺技)があります。今の高輝度大画面液晶で再生するとマジで目が潰れます。

必殺技のボイスも、現在の感覚からすると音質がノイジー、さらにエコーで音が後ろに引っ込んでいる感じもあって、演出になじみきっていない感覚がどうしてもあります。

合体技演出においても、演出画像の端っこを感じちゃって、こことここがくっつくように作られているんだなと思ったり、画像の動きがベジェ曲線的な滑らかな動きでは決してないところに時代感を感じざるを得ません。

www.youtube.com

ところで、テレビに普通にアナログ(3色端子)出力すると、この動画みたいに綺麗には映らないからね。

 

声優のボイス・演技

長官は名演技だなぁと思うわけですが、キャラクターごとの表現力はばらつぎがあるなと感じます。現代の声優さんだと、ヒロイン・お嬢様・ようじょなど、キャラクターの型に応じて、そして同じキャラクターなら統一された声色でうまく演技されるはずです。現代の演技指導で教えられる方法論は、きっと素晴らしいものなのだろうと推測します。

統一された声色であるかどうかは、当時といまをわける大きな要素に思えます。例えばさくらは普段は素直な声をしていますが、気合入るとまあまあ聞き取りづらいダミ声になったりしますし*2

個人的にはアイリスの演技がけっこうきつくて、申し訳ないけどボイスを結構飛ばしてしまいました。ようじょ・外国人属性のキャラクターですが、現代の声優ならまた違った演技になりそうな気もします。

あと猪がめっちゃうるさかったな。特に必殺技の声。敵の幹部の幹部がわりと叫びがちでうるさい印象でしたが、QC的な視点からでいえばおそらくボイスのラウドネス(聴感上の音量)管理が現在に比べて甘いのかなという推測です。

 

助平演出

唐突で露骨な助平演出は、価値観の変化によってもはや平成に置いてきたものです。

男性が女性にちょっと触られて鼻の下を伸ばしたり ふと胸元を見てしまったりすることは、現実世界(3次元)ではあるかもしれませんが、いまどきの作品ではあんまり露骨に演出しないのではないでしょうか。ウマ娘とかそうだし。

あと最近は男の登場人物が空気かそもそもいない場合もありますし・・・。お兄ちゃんはおしまい!(おにまい)とか。

 

敵の言葉遣いとネーミングセンス

漢語が多かったり、古文調で話してみたり、誇張表現があったり、言い換えがあったり(死天王とか)・・・。

いまは、こういう文章体を揶揄と羞恥を込めてずばり言い表す言葉があります。厨二病です。

揶揄を込めての言葉というのがミソで、この表現といえば厨二病厨二病といえば小馬鹿にする、という連想が脳内でつながってしまうのです。

当時だったら暴走族の夜露死苦程度のおどろおどろしいイメージがあったかもしれませんが・・・。そしてこの表現は、あほらしくてクセになるといえばなるんですが、相手はちゃんと強大な敵なので、脚本的には意図するところではないよね。

似たような例では、ハリーポッターのスネイプ先生の一人称訳が「我輩」なせいで、最終巻でのスネイプの辞世の句に込められた無念が通じない、みたいな感覚に近いですかね。

 

 

しかしここまでしんどいなぁと思っていてもなお、今でも伝わってくる部分があります。

音楽です。

サクラ大戦がアニメや3DCGとゲームの融合がウリと言っても、いまはより洗練された作品があります。確かに映像はかっこいいけれど、それを見て大きな興奮を得ることは難しく*3、過渡期の歴史を見ている感覚が頭をよぎります。

しかし音楽は、そうした技術的な部分を意識せず、音源の違いにすぎないものとして聞ける感じがします。

檄!帝国華撃団」の心躍るメロディは、後世でも伝わるのではないでしょうか。

 

 

ちなみに

DC版サクラ3も入手したので1話までプレイしてみたところ、演出やゲーム性的にこっちのほうがすっと入ってきました。90年代のゲームの進化ってすごいんやなって・・・。

あとDCってPS2より色が絶対鮮やかですよね PS2のポリゴンってなんか暗い印象があります。

*1:あの時から、、、新サクラ大戦へ | 田中公平のブログ My Quest for Beauty

*2:補足ですが、個人的には急に汚い声になるキャラはとてもすきです あそびあそばせとかアキバ冥土戦争とか。なお現代の場合滑舌と発音は少なくとも保証されている印象です

*3:ゲーム映像の進化が著しかった時代の、ユーザの驚きを追体験することが特に難しい

VroidモデルをWebARで動かしたかった

しかし! Vroidの仕様にはアニメーションが含まれないのである!!

 

事前調査

JavaScriptとHTMLとCSSはある程度書けますが、3Dアニメーションは全くの未経験です。Blenderで10年くらい前に挫折した記憶がある程度です。まず筆者はそのレベルの人ってことで・・・。

VroidをWebARに持ち込む場合、

という手順が主に見つかりました。

Blenderの使い方自体はユーザーが多いために見つかりやすいですので、わりとハードルは低いといえます。

参考サイト

問題点

これの問題点として最も大きいのは、gltfへの変換時にシェーダー情報が消える(three.jsでプリンシパルBSDFしか読み込めない)ため、モデルのルックが大きく変わってしまうことです。

また、せっかく作ったアニメーションを別のモデルに適用するのが面倒という問題もあります。違うキャラに同じ動きさせたいですよね。そもそもそのためのVroid(vrm)です。

 

試行錯誤の結果、次に示すフローがよさそうという結論に至りました。

 

VroidモデルをWebVRで使う

目指す要件

  • Vroidモデル(vrm)は無加工で持ち込めること
  • アニメーションの再利用が可能なこと
  • できるだけ簡単に実装できること

手順

次の手順で動かします。

 

(手順1) three-vrmvrmモデルを読み込む

これは公式githubのガイドに従って導入してください

github.com

(手順2) アニメーションをJSON

これもサイトを見てみるとなんとなくわかります。fbx形式で持ち込んでください。

unityroom.com

Unityで作ったモーションも読み込めるらしいですが試してないです。

three.js で VRM を表示する (3) - Unityからのアニメーションのエクスポート|npaka|note

 

さて、アニメーションの付け方についていくつか私のトライアンドエラーを残しておきます。

 

Blenderでキーフレームを打って、そのクォータニオン値をthree.jsのキーフレームにベタ移植(コピペ)する

面倒だけど確実でとりあえず楽か~?と思いましたが、全然ダメでした。どうも各ポイントの軸の付け方が違うっぽい

VRM はローカル軸の方向を破棄すべきでない - Qiita

 

シェイプアニメーションはJSONで読み込めない

例えば口パクとか表情のことですね。JSONで読み込む機構がないのでアニメーションしたければ自分で実装する必要があります。

 

アニメーションの切り替え

なんかうまくいかない 実装(後述)がポンコツだと思うので助けてください!!

 

(手順3) three.jsでJSONを読み込む

three.jsでは、アニメーションのキーフレーム(animationClip)を集めたJSONをインポート・エクスポートできます。これ(setAnimation)を使って読み込ませます。

 

 

で結局あなたの実装は?

激ダサ実装ですがこんな感じ。ファイル読み込みのURLとか自分のレンタルサーバ直接指定してたりするのがデンジャーですけどまあ。

github.comthree.jsでイチからモデルを読み込むのはまあまあ面倒なので、a-frameでラッパしています。a-frameは内部でthree.jsを使用しているので、vrmのモデルの取り扱いはthree.jsに準じて書いています。

vrm-model-module.js内のAFRAME.registerComponent~~のところですね。中でthree.jsの形で書いています。

また、アニメーションもイチから作るのが面倒だったのでMixamoでいい感じにつながるように切り出してループ再生させています。

 

なおこれはマジカルミライプログラミングコンテストに出しましたが落ちました。パワフル実装過ぎたのとミクさんである必要ある?ってところが敗因な気がします。

(というか去年までより入選作品のレベル高いですよねなんか・・・ 昨年は1位に選ばれたのはこれだろうなって予想できますけど今年はわからんな・・・)

 

 

なんか思い出したら追記します。

音楽で星満点になるBLUE REFLECTION TIE/帝

何で見かけたのとかまったく覚えてないけれども、ビジュアルに心惹かれて 以前から気になっていたBLUE REFLECTION TIE/帝 をプレイしてみた。Amazonのセールで恐ろしく安くなっていたことがきっかけ。

 

bluereflection-tie.com

ゲームのそれぞれの要素が強く刺さったわけではないけれど、総合的に良いゲーム体験をしたなぁという気持ちです。そこでゲームのレビューというより、ゲームをプレイしててなんとなく思ったことを書いてみようと思います。

ゲーム進行上の致命的なネタバレはありません。

 

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