シバつき物件 です!!!
単行本は電子で買ったあと、なんか紙も生えました
ポイント
- 1話完結ハートフル
- むうちゃんの圧倒的むうちゃん感
- むうちゃんのナイスな語彙力(うちもよそにできる?が好き)
- みんなかわいい
- 癒し
今求めているもの
LINEスタンプ作って!!!!
シバつき物件 です!!!
単行本は電子で買ったあと、なんか紙も生えました
ポイント
今求めているもの
LINEスタンプ作って!!!!
2000年代中頃、当時10代だったサブカルボーイ&ガールは、すべからく涼宮ハルヒの存在に触れたはずである。常識と言っていい。
まだオタクと言いづらい時代、隠れてコソコソ読んでいたことだろう。
高校に行けば、中学の抑圧的な生活から開放されて、
もしかすると涼宮ハルヒみたいなぶっ飛んだ人間にも出会えて、
自由で刺激的でめくるめく展開にワクワクするような毎日が、きっとさえない自分にもやってくること間違いなしと憧れただろう。
反面、そんなうまい話はないよなと本心では思うことにしていて、
自分がハルヒのように日々を変える行動力を発揮できなかったり、
あるいはハルヒのように行動力に長けた人物と知り合うことができなかったりしても
当たり前だと思うための免罪符としていたことだろう。
もちろんハルヒはフィクションだから、同じくらい傍若無人で振る舞っても許される人間なんてそうそういてたまるものではないが、
事実は小説より奇なりというのだから、ハルヒとは違ったベクトルで、あるいは自分基準で十分にユニークな経験はできた(る)はずである、と後悔もしそうである。
そしてハルヒ自身にフォーカスを当ててみれば、思春期の有り余るエネルギーを発散しきれない退屈な日々というモラトリアムを全身に表現していて、傍若無人な振る舞いはさておいても、その心理は普遍的に共感を呼ぶに違いない。30代になった今感じるのは、作中に出てくるおじさんたちのハルヒへの接し方に近くて、「元気な学生を暖かく見守る」という気持ちが強くなってきた。
少年時代も、青年時代も、30代になった今でも、そうした裏腹で鬱屈とした気持ちを湧き立てるほどの魅力が涼宮ハルヒシリーズにはあるなと改めて思った。
翻って自分の高校・大学時代を振り返ってみれば、毎日がジェットコースターと言わないまでも、それなりにアップダウンがあって楽しい日々だったと思える。
だけれども、それは自分がそう思い込めるからであって、個人の感じ方次第では、同じ経験をしてもまったく退屈だったなと感じてもおかしくない。
だから、それなりに楽しかったなと思えることは、結構幸せかなと思うことにした。
そうしておじさんに片足突っ込んでから10年ぶりに全話見返したハルヒは、
自分のそれなりに波があって楽しかった青春を思い出しながら、同時に二度と来ないぶっとんだ青春を追体験できて相変わらずおもしろかった。
と、ふと親が言っていて、自分なりにある程度説明できたのでまとめておく。
もはや日本ではiPhoneのシェアが過半数で、iPhoneは日本だけでなく世界を相手にしているから、世界各地でまったく規格の異なるTVに対応するいわれはないという点。
じゃあ日本メーカーは?となるが、もうほぼシャープかソニーしか残っていない上に、グローバルメーカーに相当劣後している現状でわざわざTV搭載する余力はあるのか。ラジオならまだいけそうだけど・・・。
TV電波とスマホのボリュームゾーンとなる電波の周波数がちょっと離れすぎている。
TV用のアンテナはどうしても長くなってしまうので、内部実装が苦しいのでは。
かつてみたいに、外部のホイップアンテナや、有線イヤホン必須(イヤホンがアンテナ代わり)というのはいまどき許されるのか。
TVが衰退したと言いたいわけではなくて、
TVで出しているコンテンツは、すでにネトフリなりTVerなりで見られることが多いし、ニュースも記事単位で配信されている。すなわちリニア視聴するモチベーション自体が低め。
大衆向け一方通行コンテンツが多くて、ラジオやVTuber配信のような双方向性(*ライブ参加が必須)が提供されないことがほとんどな側面もある。
業界の端くれとしては、わりとマジで害悪ムーブだと思っていて、自分で自分の視聴環境を狭めている悪手だと思っている。民放は何もしていないのに一緒に巻き込まれる構図。
NHKプラスが現状、単体では事実上受信料の徴収をしていない時点で、そろそろスキームの限界が近い。
あとなんか思い出したら追記します
「負けヒロインが多すぎる!」は、現時点でまだ5話までしか終わってないけど今期個人的一番のヒット作。*1
なんか演出がいちいちめっちゃ琴線に触れてなんかめっちゃいい。
そんな感じで情緒が破壊されたので一瞬言語化を諦めかけたけれども、はてなで刺さりポイントを整理しようと試みてみる。
これは昔から私の大好物であります。ラブコメに見せかけてるけれども、ストーリーの重点はこっち。
学校の周辺という小さな小さな世界で必死に生きる姿が実に愛おしい。
カバーソングのチョイスそれ自体と、イントロを本編のヒキに被せる演出(シティーハンター方式)
5話はCRAZY FOR YOUでした。記憶の片隅で消えずに残っている曲を、これまたどうしてかうまく拾ってきた。
カバーソングアルバムも出すみたいですが、8/14現在はまだ3曲目が未発表。そして4曲目にリルラリルハを選ぶセンスよ。
https://makeine-anime.com/music/album.html
実写にアニメをうまくなじませる演出そのものが実に好み
→今年は「変人のサラダボウル」「小市民」と同種の演出が連続供給されてとても良い というか全部東海圏の話やんけ
そもそも8mmフィルムで現代を切り取ったことは、近年の静かなフィルムブームが下地に垣間見えて良い。
高校の日常風景をじっくりノーナレで描いてから本編に入る。間の使い方が大変自分好み(最初にその好みを認識したのはハルヒの「ライブアライブ」)。
前述・EDの8mm演出も相まって、舞台となる豊橋市の解像度が高い。登場人物たちの実在感がかなり際立つ。
劇伴がBlue reflection(アサノハヤト)の雰囲気があってそれも好き
汚い叫びのヒロインはとてもよい(う゛わ゛き゛だ゛よ゛!!!゛)
そもそも変な声がすき。汚いマチカネタンホイザ言われててワロタ。CVの遠野ひかる氏は普通に喋ったらすごく素直に通る優しい声なのに・・・(と本作で気づいた。持ち声がマチカネタンホイザの珍妙テンポの声だけじゃない)。
単純にネクライトーキーが好きなので・・・
さすがA-1と言わせる力。異様に動く表情、間のとり方とテンポ(話がポンポン進む)
OPはパステルな色合いにTikTok撮ってるみたいないまどきな構図
一方で写実的なカットが多いED。
演出も全部画面構成力の上に成り立っているよね
そんな話を原作者インタビュー記事で読んだ。ほんまにドリームがある。心意気に拍手喝采。ありがとうございます。
もともとサンデーうぇぶりで掲載されていたコミカライズは少し読んでいて、作品自体は知っていたのですが、アニメ化されるとここまで刺さるとは。
数ある演出がことごとく私の鎧を剥がしていきました。
2日前に見始めてもう2周しました。続きは首を長くして待っています。
全話終わって1か月経ったが、いまだ若干のロス。
原作も全部読み終わりました。豊橋に行きたい。
3曲目のfeel my soulもいいチョイスでした。オール手書きのイカレ水彩アニメーション(ほめてる)は、ちょっと大人びた表情の小鞠ちゃんが非常に良かったですね。
このアルバム、ちょうどそれぞれのマケインたちがカラオケで歌うかiPhoneで聴いていそうなジャンルの曲でよいですね
小鞠ちゃんのYUIとかSHISHAMOのチョイスはずるいな~~~~世代があってたらマジで聞いてそう~~~~
温水兄妹のプレパレードのカバーは罪深いですね。
妹が無理やり兄をカラオケに誘って一緒に歌おうと迫り、兄は最初は遠慮していたけれどもこの曲なら知っているからと歌ってくれた感じがある(音のエコーの感じとか)
早急な2期求む よろしくお願いします!!!!!
なんかにじみ出てると思うけど、小鞠ちゃん推しでした。以上です。
*1:これを一気見するまでは小市民シリーズが1位でしたので、それで私の好みが推し量られる
市内のハードオフでなんかいいレンズ転がってないか探索していると、
AF Nikkor 70-210mm/f4-5.6が、現行カメラでは使えないという理由でジャンク扱い(3300円)で売ってたので買ってみました。
動作チェック済みで結構きれいでした。
しかし家に帰って気づくのである。
これ、絞りリングと絞り羽根連動していなくない??*1
さらに家にあるF80にはめてみると、絞りリングが最小絞りにならず警告レバーまで達さないことが判明。
↑↑もう1段右に回るはずだが、この位置で止まってしまう
全然使えないヤーンと気持ちが萎えつつ、しかし3300円という絶妙な価格だったために、自前修理すべきか、いや壊したら惜しいなどと悩み、結局自前修理することを決意。
しかしこのレンズはあまり人気がないのか*2作例や修理例があまり見つからなかった。
一応この動画を参考にしました。
そして私も続く者に道しるべを残します。
中央黒いリングのねじ3本を外します。
外すと中央の黒いリングがするっと外れます。
次に端子側面のねじ(小さい)を2本外します。
最後にマウント部のねじ4本外します。
赤矢印のねじだけ短いので注意。
マウント部をとりはずすとこんな感じ。絞りレバーもマウントと一緒に外れます。
このまま上に引っ張り上げると絞りリングが外れます。絞りリングを取り外すとAFモータとの接合ピンもぽろっととれるので注意。
結局今回の故障の原因は、絞りリングと絞り羽根をつなぐパーツのツメがずれていただけでした。矢印で示した黒い突起がはまっていないだけでした。
この後ちゃんと元通りに組みなおしたところ、完璧に元通り。
なお、組みなおす際は絞りレバーとちゃんと嵌合することを確認してからねじ止めするように注意。
以前の記事で、「geocitiesが死ぬ前にいろんな個人サイトをアーカイブしたら、分割サイトが多くて大変だった」と書きました。
分割サイトってなんだよ!ということで、記録に残しておこうと思います。
geocitiesやinfoseekのような無料のサービスでいくつもアカウントをつくって、一つのサイトとしてまとめて使い倒すことである!
ひとえにサーバの容量不足。
geocitiesなら50MB制限、infoseekは具体的には覚えてないけど20MBくらいの制限があったと思います。1ファイルじゃないですよ、1アカウントです。
画像や音楽を使ったコンテンツを公開するサイトだと、当時でも割とすぐに上限に達します。
そこで2つ目、3つ目・・・、と新たなアカウントを取得して、既存サイトからリンクを張ってサイトを増築していくんですね。
メインはgeocitiesだけど1ファイル3MBの制限があるから、容量の大きいファイルを公開するときは別サービス、というのもありました。
条件というほどのことではありませんが、分割サイトが跋扈するサービスには特徴がありました。
geocitiesやinfoseekは無料のメールアドレスももれなくついてきました。
今持っているメールアドレスをもとに登録するサービスだと、複数アカウント発行できないこともあります。
規約上、サイトのトップページとなるindex.htmlがないとダメ(アカウント削除対象となる)というサービスがよくありました。
これはサービスの倉庫利用を防ぐための措置です。
geocitiesの場合、一応indexを置きなさいという規約はあったと思いますが、実際置かなくても動くし、特にアカウントが消されることもありませんでした。
(まあでも、サブアカウントのindexには「ここはサブページです。TOPはこちら」みたいに書いて置いておくんですけどね)
大体想像できる内容だと思います。
そもそも個人製作のサイトはだいたいフォルダ構造がめちゃくちゃで、全部ルートフォルダに置く人もいるんです。そこにサイトを増築するともはや九龍城。
アカウントを忘れるなどを機に別のサービスに乗り換える人もいたので、同じ人が作った同じようなサイトが増殖する例もありました(私も無意味に移転しまくってました)。
そんないにしえの分割サイトという文化の話でした。
1992年生まれのぼくにとって、2000年代後半のインターネット世界は、青春の伴走者である。
ニフティサーブの頃から遊んでいた人たちにはかなわないけれど、インターネット"壮年会"と言えるくらいには、いろんな世界を見てきたような気がする。
しかし時の流れは早い。ある日こんな記事を見かけた。
すると、ここに記されている習慣や文化が今や忘れられつつあることに驚き、また同時にたった3年先輩なだけの筆者とぼくとの間で、感覚が微妙に違うことにも気づいた。
SNSで触れてみると、更に4年後輩の方からリプライがあった(無断転載失礼します)。詳しくはツイートツリーを参照されたい。
@bannninnn 世代の空気感を少し補足しますと、95,6年生まれ世代辺りにスマホ標準かどうかの潮目がありますね。
— THBASSER【愛称】東北つばさ (@THBASSER) 2022年7月12日
自分が96年生まれですが、高校入学時は部でメールの連絡網だったものが卒業時にはラインになってました。
そうしてふと思った。
微妙に違う世代感(視点)をもとに、かつてのインターネット世界を振り返る試みがあってよいのではないか。できるだけ当時のインフラや空気感、そして1992年生まれから見た世代感を絡めて、当時のキーワードを振り返る試みをしたい。
形に残らないインターネット世界には、当時の雰囲気を物語る物証がいま(未来)も参照できるとは限らない。もう消えてしまったものもあるから、証明に限界がある。けれども、ぼくの記憶から消えないうちに、できるだけ文章化して残しておきたい世界がかつて存在したのだ。
以下の文章は、気づいたことや指摘があれば随時追記・修正していきたいと思う。しかし記述はぼくの観測範囲にあえてとどめたいと考えるので、ぜひ"生暖かい目で"見ていただきたい。
なお年表にするのは大変なので、なんとなく時代が分かる程度の記述にして散文的に書く。
ブロードバンド(死語)時代、マルチメディア(死語)でインタラクティブ(死語)なコンテンツを楽しめるフレームワークFlashがあった。
当初はFlash MX(有償)でしか制作できなかったが、無料ソフトのparafla!が出てから裾野が大きく広がった。
Flash動画の文化、今でも語り継がれるよね??なんの動画があったかは、ニコニコ動画で調べてください。まとめ動画があるから。
じゃあそうした動画をどこで見つけてくるかといえば
二次流通なら
である。当時小学生だったのでもれなく後者であった。
同じクラスの誰かがどこからか動画を探してきて、各教室に1台あったPCにみんな寄ってたかってそれを見た。
「トゥトゥトゥマシェリーマーシェーリー」とかインド人?が著しく歪みながら歌を歌うやつ、ドラえもん・ドラミちゃん、ギャバン、ウォーリーを探さないで、赤い部屋、小小系列、西日暮里ブルースなどなど、同じ動画を何度も何度も見た。
休み時間ごとにつけたり消したりしたせいか、教室のPCが1年で2回壊れた。
10年以上経ってDORAEMOOOON!を元ネタにしたMAD動画を1つ下の後輩が作ったとき、元ネタがわかったのは、ぼくとぼくの1つ上の先輩だけだった。20人くらいで一緒に見たのに。時代やね。
2003年~2005年にかけては、メジャー音ゲーのフォロワーみたいなFlash音ゲーが増えた。
私はダンおにを作っていました。2023年もまだコミュニティあります!!!!遊んでください!!!
ダンおにのピークは、2004年~2009年頃だと思う。iso氏やKimera氏が夏や冬の祭りを大きく盛り上げてくれたとき、祭りに出張ってくる制作者は200人くらいいた。盛り上がりはすごかったなぁ(遠い目)。冬の祭りに熱中しすぎた結果、数日寝込むひどい風邪をひいたのも思い出です。あの日人生で初めて点滴を受けた。
自分のHPをつくって情報発信しよう、それがモダン!みたいな風潮があった。
プロバイダーを契約すると、自分のメールアドレスとHPサーバ領域がついてくることがよくあった。加えて、FC2、geocities、TOK2、忍者、infoseekなどの大手無料サーバ、「勉強用」と称した大量の個人サーバ、さくらやロリポップ、XServerといった今もある有料サーバなど、まさに群雄割拠であった。
有料サーバは現在も多くが残る。しかしそもそもHPを作るのは趣味的に情報発信するためだから、その役割をSNSにゆずった今や、無料サーバやプロバイダ付帯のサーバは徐々にサービスを終了しつつある。
そんな自作HP文化を思い出してみる。
「FMV」などに入っていることの多いホームページビルダーが筆頭。HTMLのヘッダとか、「戻る」ボタンの感じとかでなんとなくビルダー感を感じていた。
メモ帳でHTMLを手打ちしてFTPでサーバに上げるのもよくある手法。というか当時のテキストサイトのほとんどがそれでは。
WordPress(使えるサーバなら)とかブログとか流行りだしたらみんなそっち行ったよね。
誰が旗を振るわけでもなく、どの個人HPにもあった要素。あーあったなそれ!って思い出したい。雑多に並べちゃう。
Webリング
geocities、ninja、どっちも1ファイル3M制限くらいだった。
FC2やTOK2は広告が多すぎ&容量小さすぎ
Infoseek、livedoor、その他無数の個人サイト・・・。
結局忍者しか残ってない・・・こわい・・・。
あと当時の無料レンタルサーバは多数アクセスに弱くて容量が少なかったので、ミラーサイトや複数アカウントに分割されたサイトはざらにあった。
とくに分割サイトは厄介で、ファイル管理が個人に委ねられているので場所によってはどこになにがあるやら魔窟状態に・・・。geocitiesが死ぬときに一部データ・アーカイブしたんですけど、分割サイトの事情を知らないとまったく何もアーカイブできないくらいにはすごい状態だった。
FlashやJavascriptのゲームはよくあった。Flashはさっき書いた。でも当時しか遊べなかったものといえば「CGIゲーム」じゃないかな??
「SOLD OUT」は当時めちゃめちゃ流行った。資源を集めてクラフトして店で売る、というゲーム。売り物を変えたりパラメータを変えたりしていろんな種類があった。ぼくはうどん・そばを売るSOLD OUTサーバでずっと遊んでた。
掲示板が流行っていたので、自作HPでも置けるようにCGIが動く環境を提供していたサーバも結構あった。でもアクセスが集中してサーバに負荷がかかるとBANされちゃうこともあったのはご愛嬌。
したらばBBSに個人のpodcastを上げる掲示板的なものがあった。
今ほど簡単な配信機器が売っている時代じゃなかったから、とりあえずPCにマイクを刺すのが関の山。BGMを入れたければPCの音声ドライバが「ステレオミキサー」を持っていないとだめだった!これがないと音声が回っちゃうのであった。
RealTekのナントカだとあるとかないとか、そういう情報が出回っていた気がする。
そして友達とSkypeをつないで「ダンおに」界隈向けにラジオをやってみたこともあった。結構楽しかった。
今はYouTube Live、twitch、ニコ生などなんでもあるけど、Podcastも一周回って公式音声メディアとして残っているのが面白いよね。
一周回って残っているといえば、RSSリーダもそうじゃないかな~。2006年くらいにブログの新着情報を配信するのによく使われてた気がする。いまも地味に便利ということで根強く残ってたり・・・。
具体的な歴史はWikipediaにまとめられているのでそちらを見た方がいい。
当時のネット民で、コミュニティを欲する層はほぼ2chユーザーと言ってよい。2022年現在の日本語環境twitterよりも層が網羅的である。(と書いてたら2023年にXになっ色々変わっちゃった)
これは
あたりかな。
h抜きはリンク先のサイトに負荷をかけたくない、あるいはリンク元が2chとバレたくないという気持ちがあったはず。
炎上ではなく祭り・・・これはいまとまったく精神性が異なる点と言っていい。有名人が不祥事を起こしたとき、それを面白おかしく脚色してみんなで盛り上がる文化があった。例えば田代まさしが覚せい剤で捕まった事件はその最たる例。現在ならば正義を気取った輩がよってたかって袋叩きにするのがオチ。行為自体はどっちもどっちだけれども、精神性としてはかつての2chのほうが望ましいと思う。
田代砲も使って「祭り」が大規模に広がったのは、ポケモン人気投票にコイルがでっちあげられたのが最後だと思う。(なんでや!コイルかわいいやろ!4コマの主人公やぞ!!)
sage進行は、スレッドの書き込みをしても新着表示(スレ上げ)しない設定のこと。これはなんでだろう、アングラ的な自覚があったのかもしれない。
が主に挙がるだろう。
jk・・・文脈次第で「常識的に考えて」→「常考」と「女子高生」の略を使い分けていた。いまは「女子高生」の意味だけ残った。
「笑い」・・・笑→藁→wara→w→wwwww→草 と変遷した。確か「藁」が出てきた時点で「www」の表現を予言した書き込みがどっかにあった。サーバー→鯖、アカウント→垢などの隠語もまあまあ残ってる希ガス(死語)
ところで、海外サイト閲覧のハードルは現在より高かった。大陸間の伝送路が細くてダウンロードがほんとうに遅かったし、Unicodeなんて普及していないから文字化けも多発した。そんなわけで現在よりも文化は国ごとに閉じやすい。
文字化けが起こりやすいから半角カナを避ける、みたいな知識だけはだいたいみんな持っていた。今も半角カナを明示的に避ける人は2000年代のネット民である。気にしない人は現代人、むしろ半角カナを積極的に使う人はケータイ民か古のSIerである(偏見)。
こうした小さなこだわりが積み重なって、当時の2chにおける「ネチケット」、ひいてはヌクモリティにつながっていたのかもなと思う。
ニコニコ動画が2007年に立ち上がってしばらくしてからも、コンテンツは勝手な使い・使われが割と当たり前だった。その代わりマナーを守ってね、といった感じ。場所によっては金銭のやり取りもあったとは思うけど。
muzieやSoundCloud、個人HPだった。
個人HPで多かったのはやっぱりBMS界隈か?keep on lovin' you(kuri-zill)とかEasypopとかボーカル付きもあったけど。知る人が生き残っててほしい、Easypopのボカロ以前のこと。結構聞いてました。
2000年代は、ネット界隈でのJASRAC嫌悪はかなり根強かった。これは書かざるを得ない。
このJASRAC嫌悪=著作権料をせびる金に汚い権力者というイメージは、2001年頃までにMIDI文化を壊滅に追いやったとしてネット民から明確な「敵」認定をされていたことから。
MIDI文化は、自作曲のMIDIだけでなく既存曲の耳コピMIDIのやりとりもあって発達していた。当然無料ベースのやりとり。ここにJASRACが乗り込んできて、法外な著作権料を請求してきて、これじゃやってられないわと制作者がみんなやめてMIDI文化はあっけなく崩壊した。
今の感覚に基づいてJASRACの肩を持つなら、法外な・・・相場通りのはずだし、そもそも曲使うならお金払ってくださいよ、となるわけだが。
ユーザーにとっては、無料で内輪で(ここ重要!)ぼちぼち楽しんでいただけのにどうして?ってなるわけですね。でも実際はインターネット=世界に出ているから意識せずとも公衆送信権を侵していたわけ。
なおMIDI狩りが始まったのは、2001年頃にはNapster、WinMX、各種アップローダでメジャー流通の音楽ファイルがやりとりされる現状が無視できなくなったことはあるはずと付しておきます。
これは後世に間違いなく影響を残していて、いまニコ動やYouTubeに「歌ってみた」「弾いてみた」をアップしても問題ないのは、ニコ動やYouTubeが代わりに著作権料を払っているからなわけで、著作権料を個人にいちいち請求していると、請求する側もされる側も全く立ち行かなくなることが、2001年に証明されてるからなんですね。
2008年頃に「みくみくにしてあげる」がJASRAC信託する(当時CD化するなら当たり前だった)とわかったときに炎上しまくった事件もあって、これはJASRACへ信託する範囲のスタンダードが変わった事件でした。
すべてMIDI事件に繋がっているのだ!
画像も音楽もろくに置けない当時のWebは、文字情報のやり取りが大半を占める。そして個人発のテキストサイトが流行ったのだ。
ろじぱら、侍魂、numeriが三大巨頭のイメージ。ろじぱらがまだ更新あるの末恐ろしい・・・。あと僕秩もあった。
numeriの中の人(pato)はWebライターとして今もバズってる時がある。
侍魂から始まったテキストでやたら装飾する文化(フォントサイズ、色、改行で表現)は、本当に真似する人が多かった。なんなら侍魂知らないときから自分のブログで真似してたし。(元ネタを知ったのは侍魂の最末期だった)
やっぱり前略プロフィールでしょ!今で言えばtwipro? と書いたところで今はもうXなんだった・・・となっちゃった。
ほかに2000年代なかば以降の流行りとしては、携帯小説(魔法のiらんど)、アメーバピグ、チャリ走(docomoケータイで動くゲーム)あたり? 個人的にはあんまりアクセスしてない範囲なので省略。
当時はまだ「学研さん」の販路が残っていて、学研の「学習」はコロコロコミックと並んで小学生の重要な情報源であった。でもシェア的にはコロコロ・ジャンプ>>学研って感じだったと思う。
2002年頃かな、学研が載せていたゲームサイトは「ハンゲーム」や「ぱんぞう屋」であった。
「ぱんぞう屋」はShockwaveで作られていたゲームが多数あったことが特筆すべきポイント。
さて、Shockwaveについて軽く触れておきたい。Shockwaveの開発元はその後Macromediaに買収されてFlashに吸収消滅。そしてそのMacromediaもAdobeに買収され、さらにFlash自体が2020年12月に滅亡した。Shockwaveの売りは「マルチメディア」(死語)。画像や音楽などを組み合わせてインタラクティブ(死語)に動かせるコンテンツを作れるよ、ということ。いまや当たり前の話で、Flash滅亡まで考えると現代では発展的消滅をみたということか。
「ハンゲーム」は、当時流行った「トリックスター」とか「メイプルストーリー」のサービス提供プラットフォーム。ゲーム製作会社・NEXONとも繋がりがあって、ハンゲーム経由のログインが可能だった。*1
ハンゲームの運営会社は韓国のNHNで、LINEの設立母体につながるよ。今のLINEは登記上は日本の会社。
ここでついでなので、当時のネトゲについて、知る限り触れておく。
2000年代後半になるとブログが流行りだした。
一時期群雄割拠でした。いまはなきInfoseek、cocolog・・・もはやFC2とAmebaとlivedoorばっかになった
2chではVIP板でのアンカスレが流行った。これは「>>10の書き込みにあったものを食べる」とか、未来のレス番にスレの流れを託す感じのやつ。
これに付随して2chの流れが早いスレをまとめた「まとめブログ」も増えた。アフィリエイト収入で食えるようになってきて、元ネタがタダなのに金儲けなんて、とスレ民からひんしゅくを買って「アフィカス」とか呼ばれるようになった。
板によっては最終的には基本転載ダメやで、とローカルルールを作ってみたり。
こうしたテキスト文化も、YouTubeやニコ動がはやるとそっちのコメントに徐々に移っていった。いまやまとめブログの記事も、元の5chのスレがしょぼいから・・・。
携帯料金と一緒にニコ動のプレミアム会員費用が払えたので、携帯で見ていた人もまあまあいた。
docomoは問題なく見れたかな
ぼくの使っていたSoftbankは記憶がない(パケ死するのが嫌で見てなかった)
auが一番傑作で、ボタン操作1回で送受信できるデータが30KBとかで決まってたので、動画見ている間ずっと決定ボタンを連打する必要があった。動画を見終わるとカラオケよろしく消費カロリーが出た。アホだ(褒め言葉)。
ケータイやPSP(重要)によって外で動画が見られるようになると、変換するためのソフトが流行りだす。中身ffmpegな携帯動画変換君はマストアイテムだった。
外でなんの動画を見るって?ニコ動のMADよ。あとはゴニョニョな動画。PT3とかBONはまだぬるい方よ。stage6とかもありましたね。なんかこう、表の動画はフェイクなんですよ。
少し調べれば簡単に自作HPを作れるようになった時代。当然、近い人間同士で会話できるコミュニティを作る流れになるわけで、学生ならばクラスや学年のサイトを作るわけである。いわゆる学校裏サイトである。
しかし学校裏サイトは、教師や親、場合によっては本人のしらない場所で、陰湿ないじめなどをもたらす可能性があるとして、負のニュアンスでメディアに取り上げられることもあった。(※携帯のメールも同様)
悪く取り上げられたのは、インターネットというよくわからないツールに対する嫌悪感に近いものが原因と思う。いじめ自体はツールによらず、現代のSNSだって同じことが起こりうるし、仲間内で交換日記していても同様。もしかすると、鍵垢にできる現代のSNSのほうがたちが悪いかもしれない。結局はツールの使い方や他人との接し方を、大人が学生に諭すことが大切なはず。
多分にもれず、ぼくらも2005年・中学1年生のときクラスの掲示板を作って毎晩毎晩アホ話をしていた。
掲示板は大繁盛で1日500レス以上が付き、数十時間のうちにログが流れるほどとなった。ログが流れるのを嫌ってteacup→したらば→レンタルサーバにCGIという流れで移動した記憶がある。
また、上述のように学校裏サイトが悪いニュアンスで報道されていることを知っていた管理者たるぼくは、アホ話のできる場所を守るため、大人の誤解を招かないため、そして部外者の侵入を防ぐために、いくつかの対策を取っていた(意味があったかどうかは知らない)。
そして掲示板を開設して数ヶ月経ったころ、その存在が担任にばれた。管理者情報を書いていたので、ぼくが呼び出しを食らった。答え方いかんによっては掲示板存続の危機である。
しかし当時のぼくは普通にいい子ちゃんだったので、担任に「他愛のない話しかしてないやろ?」と聞かれ「はいそうです!!」と言い張って(実際そうだったし)お咎めなしとなり、掲示板存続の危機はあっさりと去ったのであった。
そんな掲示板はクラス替えを経て次の年くらいまでは繁盛していたけれども、その頃から学校でブログ(CURURU)が流行りだしたので、大体のユーザーがそっちに移行して徐々に忘れ去られていった。*2
掲示板は5年くらいはずっと残っていたんだけど、ある日アクセスしたらサーバのアカウントごと消えていて少し悲しくなった。
ちなみにCURURUもだいぶ前に死んだ。万年ベータサービスだったけど使いやすかったんだけどなぁ、なんか異様に中高生が多い危険なSNSだったような気も・・・。
この流れで言うけど、最近は「YouTubeにあがってる右翼や陰謀論動画に高齢者の親がハマる」なんて笑えない話が話題になる。でも当時のぼくもgeocitiesにあった真偽不明のテキストをソースにハマりかけました。
当時14歳、悪びれることもなくCURURUでネトウヨ知識(大日本帝国がどうだ韓国がどうだなど)をひけらかしたとき、コメント欄に「まだ若い番人さん(*私)には、一つの視点に囚われずぜひ幅広い知識を得てください」的なことを残してくれた通りすがりの人がいた。これには今も覚えてるくらいに本当に感謝している。あーそういう類なのかと早々に目が覚めた。そういえばレスバが醜いと認識したのもCURURUでリア友が諌めてくれたことがきっかけだった。
ちなみに翌年、自分のルーツにかの国があると知るところまでがオチです。(ネトウヨ的な文脈で揉めると嫌なので、この話は必要な人にだけすることにしているけど、大概は賢明な方ばかりなので気にされたことはありません。)
なおThunderbirdはまだない。
InternetExplorer vs Netscapeは90年代の終わりにあったらしい。自分がネットを見始めた頃にはもはや歴史になっていた。
ぼくの頃は、
あたりが戦っていた。IE6まではタブブラウザじゃなかったので、それをタブブラウザとして使うためにLunascapeとかがあった。動作は重かった。
しかし2000年代後半になってChromeが現れてさっそうとすべてを奪っていったのだった。
(1年くらい前、Donutというワードを10年ぶりくらいに聞いてヒュッとなった。かつて使ってたんですよ~)
まずみんなが使っていたのは
あたりじゃないですか?
WMPはVer7からなんかリッチな感じで重くなってきたので、Windowsのカーネルにこっそり残されているWMP6.4をずっと使う文化がちょっとあった。このデザインをベースに高機能化していまだに残っているのがWindows Media Player Classicの系譜ですよね。
Real Playerは謎にアメリカの広告がうざいくらい入っていた。うっかりメアドを教えると楽天とタメを張れるくらいのメルマガが送られてきた。でも当時の微妙なストリーミング動画だと.rm形式だったりしたんだよなぁ。あるいはwmv(Sliverlight)か。
winampはCDをリッピング(死語)してPCにライブラリを作って、プレイリスト作って・・・をするためのソフト。スキンのきせかえとかめっちゃあった。
2000年代後半になると
あたりの名前が売れてくる。
iTunesは言わずもがな。当時iPod NanoやShuffleが出てくると爆発的に流行ったので、iTunesも当然みんな使っていた。Windowsで動かすと動作が超重かったけど現代でも同じでげんなりはする。
GOM PlayerやVLCは当時としては動作が軽いことが売りだった。ニコ動なんかGOM Player推しばっかりだった。
そういえば、中学時代の担任が使っていた学校PCを借りたとき、HDDほぼ満杯にiTunesライブラリが入っていたときはアーコレってなった。そもそもPCを生徒に貸すとか、私物利用とか実にゆるい時代であった・・・。(当時でもわりとダメなタイプだとは思う)
が有名じゃないかな?
NECは「バザールでござーる~」でCM打ちまくって有名だったが、今でもキャラクターが残っててビビる。逆にいま表に出てないの寂しいね・・・遊びがない感じで・・・。
富士通PCといえば、象のエアホッケーとか、サンリオのゲームパックとか、妙に渋い声でチーと鳴く麻雀ゲームとか、いろいろはいってたなぁ(遠い目)
ちなみに象のエアホッケーは、令和でも遊べます。
参考リンク
あとは気が向いたら加筆修正する。
加筆修正と項目順の入れ替えをした(2023/12/27)