初音ミクはなぜ世界を変えたのか?(2014年・わたしの視点)

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」というドキュメント本が2014年に刊行されているのですが、今更ながらこの本を読んでみました。

すると、当時いちユーザーとして私が感じていた内容がうまく汲み取られていて、まさに私自身が書いたのではないかと錯覚する程度に同意できる形で、初音ミク世界の立ち上がりがまとめられていました。

現在刊行中の第3版は、YOASABIやAdoといった2020年代に活躍するアーティストについても触れた補記もついています。

 

 

 

ところで私も2014年11月、大学時代に初音ミクがなぜ流行ったのか稚拙な文章ながらまとめたことがあります。所属していたサークルのフリーペーパーに編集長権限で載せて3000部も刷ってしまいました。12000字くらいあるのに。

これを2023年の今、もう一度供養がてら掲載したいと思います。

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」でまとめられている内容と、結構重複するところに自分自身驚いています。けっして当時この本を参照して論考したわけではありませんが、発行年は同じです。

 

この先、当時の文章のコピペです。なお、誤字脱字などは一部修正しました。注釈部分のリンクは当時のままとするので、リンク切れはご容赦いただきます。

なお本文章は、当時初音ミクの公式イラストを冊子で使用するために、クリプトン社に確認いただいています。

 

初音ミクはなぜ流行ったのか?

2014年11月 神戸市にて発行

 

世界一持ち歌の多い歌手は誰だろうか。きっと何人か候補が脳裏に浮かぶことだろう。だけどここではちょっとだけずるをさせてもらおう。それは初音ミクだ。

ボーカロイドとはなにかご存知だろうか。あるいは初音ミクなら?──緑色の長い髪をしたバーチャルアイドルは、おそらく現在*1の20代以下の方にはある程度知られているはずだ。

ボーカロイドとは、ヤマハの開発した自動歌声生成エンジンのことである。このエンジンを搭載したソフトウェアの商品名、およびそのパッケージに描かれたキャラクターが初音ミクである。初音ミクのほかにも複数のキャラクターが存在する。

ボーカロイドをボーカルにすえた楽曲には動画投稿サイトでなんと数百万の再生を獲得しているものがいくつもある。楽曲に限らず可愛らしい見た目を活かした二次創作イラストのやりとりも活発である。今回はネット上で隆盛を極めているボーカロイド文化の特異性と現在に至るまでの発展経緯を理由を交えて考えてみようと思う。

最初に読者の皆さんに断りを入れておかなければならない。

ひとつは、ネット上の情報は散逸しがちであるから、理由の根拠となるものを示せないことがある点。出来る限り丁寧に記述したつもりだが、抜けやミスについてはどうかご容赦いただきたい。もうひとつは、この先は頭をまっさらにして、ぜひ純粋で公平な目で読み進めていただきたい点である。

またボーカロイドを用いたオリジナル曲を、いわゆる「ボカロ曲」という括りで見るのもいったんやめにしておこう。人気の曲は確かに似通っているかもしれないし、それが特徴と考えるのももっともであるが、実際には多数のアマチュア作曲家が多数のジャンルの曲を思い思いに作っているからだ。曲を聴かせるという点では、muzieSoundCloudといった音楽投稿サイトとなんら変わりがなく、あくまでボーカロイドという舞台に乗っかっているに過ぎない点にご留意いただきたい。

前置きが長くなってしまったが、ここから本題に入ることにしよう。まずはボーカロイド文化の特異性についてだ。筆者としては次の4点に特異性を見いだせる。

  • 純粋に作曲者が注目される点
  • 文化が基本的にすべてネット上で、しかも無償の奉仕により成立している点
  • ユーザーが作り手側に変わる同人要素を強く擁する点(CGM文化)
  • 打ち込み音源への親和性が非常に高い

 

1つ目については、ボカロ曲というジャンルでは歌手がボーカロイドキャラクターの数人に集約されることが原因である。ボーカロイドを用いたオリジナル楽曲は数万以上に及ぶとみられるが*2、それを全部数えるほどの歌手しか歌っていないということだ。つまりボーカルの要素は、多少の揺れこそあれ基本的に均質化されるため、曲ごとの差別化要素はメロディや歌詞そのものということになる。

例えばアイドルグループの作曲が誰なのかはあまり気にしていない人も多いはずだ。

しかしボカロ曲ならば、作曲者はいい曲さえ作れば賞賛がダイレクトに自分に返ってくる。批判も自分で受け入れなければならないが、このダイレクト感はモチベーションに繋がる。さらに未完成のままアップした楽曲をあたたかく受け入れる土壌もある。そうして作曲者が増えれば曲が増え聞き手も増え、聞いて意見してくれる人が増えればまた作曲者が増え……というプラスの循環が生まれているのだ。ちなみに不思議なことだが、どんな作曲者にも応援してくれる人がいたりするようだ。

 

2つ目、ネット上で無償の奉仕により文化が成立している点である。現在はボカロ曲でもメジャーシーンと同様にPV映像をつけたり、あるいは3DCGを用いてキャラクターを動かしたりしている。通常、曲をプロデュースしようとすれば、映像クリエイターを雇ってPVを作り、お金をかけて宣伝して……、となるのだが、ネット上では曲に共感した人が趣味で映像やイラストを作っているだけだ。二次創作だ。あるいは、この人はすごい映像を作っているぞとなれば作曲者側から依頼が来ることもあるだろう。このように無償ベースでのエコシステムが完成しているのだ。

これは映像に限らない。曲が気に入ってギターやベースで弾いてみよう、曲を作っている様子を動画で投稿しよう、となるのはよくある流れだ。二次創作として投稿された動画を見た作曲者が逆に気に入れば、コラボして曲を作るなんてのもある*3。このような使い使われの自由な関係や無償の奉仕自体が実際のところはネット全体に特有のものなのかもしれない。*4


3つ目はふたつめとも関連することだが、ボカロ曲や初音ミクなどのキャラクターを気に入った人が、自分の得意分野を活かして様々なものを作っているということである。たとえば3DCGムービーを扱う無料のソフトとして今や定番のMikuMikuDanceは当初、初音ミクを3Dで動かしたいがために作られたソフトである。

最たる例としては多数の聞き手側がボーカロイドキャラクターの性格を決めたことが挙げられよう(もっともこれは発売元の策略の面もある*5)。

初音ミクのトレードマークといえば、緑色の長い髪のほかにネギが有名だ。しかし公式のプロフィール画像にネギの姿はどこにもない。これが一体どこから生まれたのかといえば、「VOCALOID2 初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた」*6でミクに長ネギを持たせていたところからである。同時にこの動画は初音ミクにとって初のデフォルメキャラクター「はちゅねミク」を生み出している点でも重要である。もちろん、これらが広まったのは聞き手側にウケたから、そしてそれがすぐにコメントを通じて制作側に伝わったからということは言うまでもないし、制作者側が同時に聞き手側であることももうお分かりであろう。


では最後に4つ目。これはちょっと毛色が変わってくる話だ。ボーカロイドはパソコン上で歌声を合成できるのがウリのソフトだ。ということは、これまでどうしてもパソコンだけで、ひとりだけでは完結しなかったボーカル曲の制作が、すべて一人で思い通りにできるようになった。ボーカルの募集に苦心していた人も一応の解決を見るわけだ。もちろん初音ミク以前にもボーカロイドは存在していたのだが、初音ミクによって知名度が爆発的に上がったのは確かである。

実はボーカロイド界隈で作曲を行っている人の中には、2000年前半頃からネット上で支持を得ていたアマチュア作曲家も相当数含まれている*7。そのような人たちを潮流に乗せてボーカロイド側へと手繰り寄せた力も特筆すべきことである。

また、歌声も楽器の一部として考える作曲家もいる中で、歌声を自由にいじることができるボーカロイドの存在は大きい。また打ち込み音楽の中にはどうしてもキンキンと響きがちなボーカロイドの声質に逆にマッチしやすいものもあった*8

 

ここまでボーカロイド文化の特異性について述べたわけだが、実は一番大切なことを伝え忘れている。それは、初音ミクを圧倒的リーダーとするボーカロイドファミリーが、可愛らしいパッケージイラストを与えられていなければ、これだけ大きなムーヴメントにはなりえなかったということだ。

声だけではない、視覚的なものが、多数の人の心を捉え、彼・彼女たちを生き生きと輝かせてあげたいクリエイターの欲求に火をつけた。名実ともに世界初のバーチャルアイドル(集団)となったのだ。

 

さて、ここからはそもそもなぜボーカロイドは流行したのかさらなる要因を突き詰めていくこととしよう。加えてこれまでの発展の経緯も合わせて述べることとする。一部前述の内容と被る部分もあると思うがご容赦いただきたい。

2003年、ヤマハボーカロイドの開発を発表し、翌年2004年には各社からボーカロイドを搭載した製品が発売される。このときはメーカーの思惑通りレコーディングの仮歌やバックコーラスに使われる程度だったという。

2007年、初音ミクを発売するにあたって発売元のクリプトンは売上を伸ばすこと、またユーザーに愛着を持ってもらえることを目指してキャラクターイラストをパッケージに配すこととした*9。これがキャラクター・ボーカルシリーズ第1弾「初音ミク」である。2007年8月31日、満を持して発売された初音ミクは、前述のとおり様々な人々の創作意欲に火をつけた結果、当初の売上目標1000本に対して40倍の4万本以上の売上を達成する大ヒット商品となった*10初音ミクの発売前後にはすでに動画投稿サイトで先代のボーカロイドを使用した曲がアップロードされていたが、あくまで既存のカバー曲に終始していた*11ことからすると考えられないことである。

人気が爆発したきっかけは前述の「Ievan Polkka」(通称ろいつま)である。外国の民謡に合わせてネギを振っているさまがどうにもおかしくてネットユーザーにウケたのであろう。

また時を同じくしてニコニコ動画が人気を集めていた。ニコニコ動画は、映像の上に直接ユーザーが投稿したコメントが流れることが特徴で、非同期ながら皆でわいわい動画を見ている気分になれる、というのがウリである。2007年2月まではYouTubeに投稿された映像にコメントを独自につけて配信していたのであるが、あまりの人気にYouTubeからのアクセスを遮断されてしまう。そのためサービス再開後の2007年3月からは動画自体も自前で配信しなければならなくなった。となると困るのがコンテンツである。それまでの人気動画*12はユーザーにより即座にアップロードされたものの、基本的には著作権的にグレーな部分が多かった。

初音ミクを始めとするボーカロイドシリーズは、音楽とイラストというマルチメディア的な要素を持っているため、もともと動画投稿サイトには親和性が高い。またニコニコ動画としても著作権的に問題のない(投稿者側が著作権を有する)動画が増えるぶんには大変に結構であろう。2009年にVOCALOIDタグが創設されたこと、あるいは後述の権利関係の話題になってニコニコ動画運営のニワンゴがかなり大きな役割を果たしているのも、ボーカロイド文化を後押ししたい思惑があっただろうと考えられる。

 さて初音ミク自体に話を戻そう。当初はお試し期間なのかカバー曲が多勢を占めていたボーカロイド曲であったが、次第にオリジナル曲が増えていく。当初は「みくみくにしてあげる」「ハジメテノオト」「私の時間」「初音ミクの暴走」*13など、初音ミク自体のバーチャルアイドル、仮想の存在というキャラクター性を活かした曲が多かったが、2007年10月5日投稿の「celluloid」、11月22日投稿の「ミラクルペイント」、12月7日投稿の「メルト」を始めとして、普遍性をもった曲へとシフトしていく*14。 曲だけではない。「3DみくみくPV」*15という「みくみくにしてあげる」に初音ミク初の3DCGを載せたPV動画はユーザーに大きな衝撃を与える。

初音ミクの発売からわずか4ヶ月、年末にかけて大きく勃興してきたボーカロイド文化は、同年12月27日に発売されたキャラクター・ボーカルシリーズ第2弾「鏡音リン・レン」の発売で更に大きく盛り上がりを見せる。ここまでの4ヶ月間は、1週間違いが別世界。初音ミクが、日本の創作界隈に大きなうねりを生みだしていた。

盛り上げの縁の下の力持ちも紹介しておこう。2007年10月9日に更新が始まった「週刊VOCALOIDランキング」は2014年9月現在360回を超え、さながらボーカロイド版のオリコンといったところだ。人気の曲が手軽にわかるのは大きな意味を持つ。

2007年の年末から年明けにかけてはテレビや新聞などでの紹介も増えたため、聞き手側の数が増加していくのだが、現在に至るまでに人気が継続している要因としてもう一つ、当時の環境整備が挙げられよう。

初音ミクを始めとするボーカロイド文化以前にも、ユーザー発信型の文化というのはいくつもあった。例えば上海アリス幻樂団のZUN氏が制作している同人作品、東方projectもその傾向が強い。原作はシューティングゲームなのだが、その中に現れるキャラクターや音楽を用いた二次創作物は、それだけで同人ショップのワンフロアをうめつくすほどである。しかしボーカロイド文化が特異的なのは、原作者に相当するものが存在しない、あるいは全員が原作者ともいえる状態にある。

そんな多数の制作側の受け皿として2007年12月に先陣を切ったのが、ほかでもない初音ミクの開発元、クリプトンが運営するピアプロというWebサイトである。クリプトンが提示したガイドラインにさえ則っていれば何をしてもらって結構というサイトであった*16。イラストや音楽、歌詞や小説なんでもありだ。

しかし当然明るい話ばかりでもない。人気とわかればビジネスチャンスを感じる人もいるし、ユーザーの中には単純に初音ミクやボカロPがもっとメジャーな存在になってほしいと願う人もいるだろう。

2007年12月、ニコニコ動画運営・ニワンゴの親会社ドワンゴにより、先述の「みくみくにしてあげる」が着うた配信される際、日本音楽著作権協会JASRAC)への著作権管理委託が発覚した。その事実自体がネットユーザーにとっては猛反発も当然であり*17、そもそもクリプトンとの間で予め決められていたアーティストの表記規則を破っていたことが問題となった*18。このまま行けば「みくみくにしてあげる」がニコニコ動画から消えてしまうのではないかという懸念が生まれた。

結果的には2008年にニコニコ動画JASRACの間で包括契約が結ばれ、ひとまず問題は解消した。その後も、一部権利のみJASRAC信託するなど、むやみに著作権の管理委託を丸投げすることはできるだけ避ける形で、ヒット曲のCD出版やカラオケ化などがなされるようになった*19

これまでに述べたような一連の著作権をめぐる環境整備と、メジャーシーンと同様の楽曲紹介システムがかなり早い段階で完成したのは、未だ続く人気の維持に一役買っているのではないかと思う。あくまで趣味の延長線上で成立している文化、なにかもめごとが続いたら気持ちが萎縮してしまうと思われるからだ。

強引だが話は年表に戻って2008年8月27日、音楽サークルlivetuneボーカロイド初のメジャーCD「Re:Package」を発売。翌年2009年3月4日、supercellがアルバム「supercell」を発売し、累計13.7万枚を売り上げた。これは2014年11月現在、ボーカロイド関連CDの中で最大の売上である。2010年5月19日にはEXIT TUNESよりコンピレーションアルバム「EXIT TUNES PRESENTS Vocalogenesis feat.初音ミク」が発売、初の週間オリコン1位を達成する*20。また2009年7月2日にはセガよりゲームソフト「初音ミク -Project DIVA-」が発売された。2009年8月22日に開催されたAnimelo Summer Live 2009に初音ミクはアーティストとして出演。直後の8月31日、ミクフェス '09(夏)では透明な巨大スクリーンに3Dの踊る初音ミクが投影され、ミクが現実世界に出てきたような体験を与えてくれた。

人気ゆえのマルチメディア展開も幅広いといえよう。実際のところは、お金を出さないネットユーザーのこと、特に人気曲のCD化などは本当に売れるのかどうか疑問の声も上がっていた。しかし蓋を開けてみればの結果は承知のとおりである。

現在進行形の文化であり、キリがないのでボーカロイドの名がある程度世間に広まったこのへんでいったん終わりにしておこう。

まとめとして、ムーヴメントが継続するにあたってキーポイントとなっているのは

  • 聞き手側の創作への参加
  • ニコニコ動画そのものと同時に発展したこと
  • 発売元のクリプトン社がガイドラインに沿っている限り二次創作を推奨したこと
  • 権利処理が作り手側の意向に沿った形となったこと

という点が挙げられる。当然ながらボーカロイドという道具を用いたムーヴメントなのだから、作り手側の人間ありきである。

 

では現状についても紹介しよう。

実は、ここまではあえてボーカロイドに好意的な記述を多めにしてきた。というのもボーカロイド文化の初期を担った層以外に世代交代していくにつれ、文化の空気感が変化していることも伝えたいと考えているからだ。

ひとり語りで恐縮だが、筆者は中高生時代にボーカロイド文化の立ち上がりを目の当たりにしてきた。2014年現在もまたその消費者層の中心にあるのは中高生層である*21。当時の自分と今の自分では見方が異なっているとは思うし、同時に2014年現在の中高生にとっては、僕たちにとって十分に成熟していると見えるボーカロイド文化もまた新鮮に映るということを念頭に置いて、この先を読み進めていただければ幸いである(この先あえて消費者層という言葉を使用しているのにもご留意いただきたい)。

インターネットを介してはどんな作品にも何らかのレスポンスが与えられるとはいえ、注目されるものとされざるものの格差が非常に激しい。同人集団のようなものであったころのボーカロイド界隈と違い、消費者層が激増した今、ライトユーザー層もかなり厚いはずで、となれば人気の作品にさらに人気が集中するだろう*22ボーカロイド関連動画の投稿数には急増や逓減があまり見られない*23からなおのことだ。

まず年齢層の問題である。これは非常に大きい。ニコニコ動画全体の年齢層と相互に影響を与える形で消費者層の多くを10代が占めている。方や制作側の年齢はというと、初期に人気を集めた方々は当時でも20代後半だったりするわけだ。ここでギャップが生じる。若いころと今で音楽の好みが変わるのはわりとあることだと思う*24が、これにより趣味でやっているはずの音楽が消費者層に理解されない、受け入れられないということが起こりうる。すなわち、人気の曲・ジャンルが偏るということもいえる。もちろん、10代だからこれが好きだなんていうのは先入観だが、大人に比べれば多少なりとも幅は狭かろう。となれば人気のボーカロイド界隈で受け入れられるために(あわよくば…と作り手が考えれば)、10代の好みに合致するような曲ばかりが増えることもありえそうだ。その上、PVがあれば人気がでるという安直な流れもどうしても存在している。

中学生ぐらいの歳なら、自由に使えるお金もそんなに多くないだろうから、人気の曲がしかも無料で大量に聴ける、となればボーカロイドに飛びつくのもなんだか納得がいく。若いうちならボーカロイドの電子的な歌声にも適応しやすいともいわれていることもまた理由になりそうだ。

結果的に、10代の激増を一因として、同じような曲調の曲が人気のものとして多く存在するのも実は確かなところだと筆者は感じている。

ここで改めて確認しておくが、初期に存在したボーカロイドのキャラクター性に基づく「ボカロっぽさ」は、曲の普遍性・ボーカロイド分野の懐の深さにはなんらかかわりない。幅広い歌詞・ジャンルを内包するしている現在なら、曲自体に「ボカロっぽさ」は本来生まれないはずなのである。

それなのになぜだか「ボカロっぽい曲」なんて言葉が今生まれているのことには、人気曲のジャンルの方より、ひいては消費者層の視野の狭さが垣間見えていると思ってしまう(ここはさらに後述する)。

ボーカロイドは、たとえ作者が小学生であっても分け隔てなく評価されるアマチュア(インディーズ)の曲を発表する場として一定の地位を築いているため、今後も大きく衰退することはないと思われる。ボーカロイドが好きだった中高生が成長して、今もこの先もまだ生き残っている可能性に賭ける。しぶとく残るそんな人は、お気に入りをちょくちょく見つけているだろうし、読者のみなさんも深く深く探していただければ、ぐっとくる曲のひとつやふたつはきっと見つかると思う。理由は冒頭に述べたとおりだ。

となると、なんだかその曲は「自分が見つけたもの」「自分だけのもの」という気持ちになってこないだろうか。ここが2つ目の問題である。

インターネット上での交流は、他人の姿が見えない。すべてを独り占めしている気分になるかもしれない。でも実は同じ趣味の人が同じ場所に集まっているから、やたらと巨大な集団にいることを実感できる。見えない巨大な集団。これが危険だ。

分別をわきまえた大人ならまだしも、まだまだ広い視野を蓄えていない中高生がその沼にはまってしまうとどうなるのか。

「信者」「アンチ」という言葉がある。前者は、あるモノ・人を盲目的に好きになっている人のことであり、後者は逆に対象に対し頭ごなしに批判する人のことを言う。ネット世界で生きる限りどちらに出会うこともしばしばなのだが、こうしたオタク界隈は特に信者が「うるさい」*25。信者はもはやファンの領域を超越して害を及ぼすことがある。程度の差こそあれまっとうな批判であってもすべて切り捨てて喧嘩をはじめてしまうのだ。こうなればまっとうな批判をした人はその場から消えて二度と戻ってこない。

ちょっと立ち止まって考えてみれば、ボーカロイドの人間とは違う人工的な歌声が受け付けないという人がいてもおかしくないことは自明である。これは好き嫌いの問題だからだ。

周りではたくさんの人が自分と同じ感想を抱くから、なお盲目的になる。現在のボーカロイド界隈は、ある大人気の作品の周りに大量の「信者」がいて、その人たちの行為が目につく状況と言わざるをえない*26。だからこそ嫌だと感じる人もでてくるし、いつまでたっても「ボカロ曲」はおすすめするのにちょっと勇気がいる状況が続く。

最後にひとつ、ボーカロイドという舞台自体も批評の俎上に上がる。ある程度ボーカロイドが人気を博してからは、「ボーカロイドを使ったのは、人気を得るために踏み台にしたからだろう」と批判されることもあった*27。だが逆に自分を売り出すためにそのステージに踏み出すのもまたもっともな話とはいえないだろうか。自分を売るためにボーカロイドの舞台に乗っているか否かというのは本質ではないはずだ。

 

ボーカロイド界隈は、音楽、動画、楽器を弾く人、歌う人、あらゆるところへの影響力が大きすぎて、すでにひとくくりでは語れないまでに膨張した。さまざまな分野がまたそれぞれに発展を遂げているのが現状だ*28

ボーカロイドを発祥としていたはずの各分野は、もはやボーカロイドの力を借りなくてもそれだけで発展するまでになり、逆にいまだボーカロイド曲が基軸と考える人との間に軋轢を生む。

聞き手と作り手が、ボーカロイドのキャラクターや曲を軸として、手を組んでコメントしあってよりよいものを作っていた時代はとうに過ぎ去り、少数の制作者と超大多数の消費者が存在する、ありふれた世界に変化した。ただ違うのは、それがすべてネット上と少数のグッズで完結している点だけである。

ボーカロイドは元の役割を思い出したかのように、あくまで道具となり、その必然性を失いつつある。

日本におけるCGM文化の本当の発祥というべきボーカロイドは、その初期の文化は残しつつもまったく別物へと今まさに変貌を遂げている。

初期の選択肢の少ない時代なら、絶対的な求心力を持ち(興味のある人なら誰でも知っていて、興味が無い人も知っているレベル)、実際に文化圏の外へと出て行く人たちもありえただろうが、選択肢が増え、文化を牽引していた先駆者*29がメジャーへ出て行ってしまったこれからは、まずはこれというような定番が現れないだろうと予測される。

締めになるにあたり大変に重たい話題となったが、僕の言いたかったことは後半に集約されている。なんともきな臭い話だと自分でも思うが、ボーカロイドに限らない、ユーザー発の文化をハンドリングする難しさとその意識背景も読み取っていただければ幸いである。

 

 

 

2023年付記

文章の冒頭、

この先は頭をまっさらにして、ぜひ純粋で公平な目で読み進めていただきたい点である。
またボーカロイドを用いたオリジナル曲を、いわゆる「ボカロ曲」という括りで見るのもいったんやめにしておこう。

という補足をしているのが、当時の環境を物語っています。要は色眼鏡を掛けて見ないでほしいと言っているにすぎませんが、これが本当に重要でした。ボカロ曲なんて、という声は同世代からも少なからずあったからです。

また、この文章を掲載したフリーペーパーは大学の文化祭で配布したので、読者の世代によってはアニメ・ゲームが好きと公言することに忌避感がある方もいるだろうと想像した面もあります。ちょうど私が高校・大学にいる頃からは変な目で見られることは少なくなりつつありましたが、保険をかけた格好です。

 

2014年当時と今で大きく違う点は、アマチュアで曲や動画、イラストを作ってもある程度収益を得られる環境が整ったことが挙げられます。SpotifyやAppleMusicでの配信収入、カラオケによる印税、MVの制作にかかる作者間の費用のやりとりはボーカロイド文化の勃興で整備されたと言っていいでしょう。

そして立役者・初音ミクの発売から16年経った今も豊かな創作文化が続いているのは、ひとえに権利元各社の努力の賜物だったことは言を俟ちません。

 

本文章を振り返ると、本当に自画自賛していいかどうかは悩みますが、2014年に大学生が他者の論説をろくに参考にせずに書いたにしては、内容的に結構いいところをついているようにも思います。

最後に、ボカロ文化を眺めてきて一番主張したいことは、たくさんの人の手によってきれいに磨かれたすてきなメジャー作品よりも、クリエイターが表現したい原石そのままのアマチュア作品のほうが、僕たちの心をえぐってくることがあるという事実なのです。アマチュアが作る豊かな文化は本当に大切ですよ。

 

 

*1:2014年のこと

*2:もっとも投稿数の多いニコニコ動画ですらすべてを網羅していないため正確な数は不明。参考までにボーカロイド曲を有志がまとめた「初音ミクWiki」に登録されている曲数は24523曲(2014年9月23日現在)。実際にはこれを大きく上回ると推測される。

*3:現在ニコニコ動画上で再生数の多い「千本桜」のPVを制作したハンドルネーム「三重の人」は、当初気に入ったボカロ曲にPVをつけたところから活動がスタートしている。

*4:2023年注:一部にこの文化は残っているが、現在はチームでMVを含めて制作することや、自分の力及ばないクリエイティブを有償で制作依頼することも普通になっている。

*5:http://bonet.info/interview/6900

ボーカロイドは発売元のクリプトン(など)の意向で、身長体重などの基本的なものを除き詳しい設定はされていない。

*6:

*7:OSTER projectsasakure.UK、さつき が てんこもり、Easypopなどが代表例

*8:

*9:http://bonet.info/interview/6900

*10:初音ミクはあくまで音楽制作用ソフトである。500本売れればヒットというところを大幅に上回る実績を残した。

*11:

www.youtube.com この動画から、(語弊があるかもしれないが)あくまでおもちゃ、イロモノ扱いであったことがわかる。

*12:具体例は避けるが、空耳動画、MAD動画が主。二次創作あるいは無断アップロードされたものが多い。

*13:

*14:

*15:

*16:同様に二次創作の投稿が多いサイトとしてpixivが同年の9月にサービスインしているが、こちらはボーカロイドに限らない。

*17:詳しくは読者の方に調べていただきたいが、JASRAC著作権管理制度を巡っては2001年以後2014年当時までネット上での批判が大変多かった。そもそも二次創作を歓迎するネット文化に対して、著作権管理を厳格にすること自体そぐわない感覚が当時根強かった。

*18:ASCII.jp:みくみくにしてあげる♪「着うた」配信でひと悶着、ドワンゴ子会社が謝罪

*19:http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20110214/1034478/

*20:とある曲の歌詞にあった「オリコン1位も取れちゃうかもね」という願いが実現したことを感慨深く思ったユーザーも多い。

*21:ニコニコ動画のコメントの年齢分析したら中学生がほとんどだった件 - いろいろ作りたい

は、少々古いデータだがニコニコ動画のコメントのうち8割以上は10代以下による投稿である。つまり、動画の空気感は彼らが醸すこととなる。この頃から年齢構成はさほど大きく変化していないため、現在もほぼ同様と推測される。

ASCII.jp:VOCALOIDはいつから女性人気が高まったのか? (2/3)

若年層中心、男性は中堅層まで…ボカロ楽曲や個人製作楽曲の購入性向(2013年発表) - ガベージニュース

この2記事は、ボーカロイドのユーザー層の理解の一助になると思う。

ニコニコ動画とは (ニコニコドウガとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

ちなみにニコニコ動画自体の年齢層は2014年現在、20代がもっとも多い。

*22:言い方は悪いが、「人気だと見せかければ」「一定水準のクオリティなら」受け入れられてしまうのだ。これは世の中の流れと同じで、いいものが必ずしも人気を博す世界ではないということだ。

*23:ボカロ衰退論に関する定量的な評価 - sky-graphのメモ帳

2023年付記:一般的に、この記事を書いたあと2014年~2015年ごろはボーカロイド界の「暗黒期」と呼ばれる。なお暗黒期の後、n-bunaやナユタン星人、Orangestarといった次世代を担う才能が出てきたことはボカロ界にとっては重要である。

*24:http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/4477/1/KJ00004259182.pdf 

一例としてクラシック音楽の年齢層を示しておく。もちろん、制作側にも20歳前後の人はたくさんいるし、何なら中学生だっている。

*25:批判を覚悟で強い言い方をさせていただく。ソースを具体的に示すことは波風が立ってしまうので避けておく。

*26:ボーカロイドの歌声より一般ウケしやすい人間の声に置き換えた動画群はその傾向が強いといわれる。ただ名誉のために言っておけば、作曲者側とのコラボにより、あるいはアレンジにより、曲の素晴らしさを引き出しているパターンもある。あくまで「信者」とそれに対峙する投稿者、あるいは外野の視聴者のスタンスの問題である。

*27:ボーカロイド文化の最初期を牽引したはずのsupercellのryo氏でさえその批判を汲み取り、2012年発売の「ODDS&ENDS」に綴っている。

*28:MikuMikuDance」は個別にコンテストが開催されているし、ボカロ曲での投稿が多い「歌ってみた」は歌手単体での売り出しがなされている。もはやボーカロイド文化の影響下にはない。

*29:2014年当時ではdoriko、DECO*27、livetunesupercellが挙げられるだろう