2000年代のインターネットの記憶(1992年生まれの視点から)
序文
1992年生まれのぼくにとって、2000年代後半のインターネット世界は、青春の伴走者である。
ニフティサーブの頃から遊んでいた人たちにはかなわないけれど、インターネット"壮年会"と言えるくらいには、いろんな世界を見てきたような気がする。
しかし時の流れは早い。ある日こんな記事を見かけた。
すると、ここに記されている習慣や文化が今や忘れられつつあることに驚き、また同時にたった3年先輩なだけの筆者とぼくとの間で、感覚が微妙に違うことにも気づいた。
SNSで触れてみると、更に4年後輩の方からリプライがあった(無断転載失礼します)。詳しくはツイートツリーを参照されたい。
@bannninnn 世代の空気感を少し補足しますと、95,6年生まれ世代辺りにスマホ標準かどうかの潮目がありますね。
— THBASSER【愛称】東北つばさ (@THBASSER) 2022年7月12日
自分が96年生まれですが、高校入学時は部でメールの連絡網だったものが卒業時にはラインになってました。
そうしてふと思った。
微妙に違う世代感(視点)をもとに、かつてのインターネット世界を振り返る試みがあってよいのではないか。できるだけ当時のインフラや空気感、そして1992年生まれから見た世代感を絡めて、当時のキーワードを振り返る試みをしたい。
形に残らないインターネット世界には、当時の雰囲気を物語る物証がいま(未来)も参照できるとは限らない。もう消えてしまったものもあるから、証明に限界がある。けれども、ぼくの記憶から消えないうちに、できるだけ文章化して残しておきたい世界がかつて存在したのだ。
以下の文章は、気づいたことや指摘があれば随時追記・修正していきたいと思う。しかし記述はぼくの観測範囲にあえてとどめたいと考えるので、ぜひ"生暖かい目で"見ていただきたい。
なお年表にするのは大変なので、なんとなく時代が分かる程度の記述にして散文的に書く。
2000年代初頭の雰囲気
ぼくの周辺環境・世代感
- 当時地方都市に住む小学生
- 1999年、インターネットとパソコンが我が家に来た。
- 2001年、学校にPCルームができ、全普通教室にも配備される Windows Me!
- 2002年、学校の図書室の蔵書管理が電子化される
- 2002年(小学4年生)から完全週休2日制。
- 家に自分のパソコンか、親と共用で使えるパソコンがある家がほとんど。インターネットを引いているとは限らない。
- 「ポケモン」は赤緑から。主に遊んでいたのは「金銀」と「ルビサファ」で、赤緑はバグらせて遊ぶ旧作のポジション。
時代背景
- 一般企業のWebサイトがそろそろ立ち上げ始められる。
- i-mode、EZ WEB、J-スカイという、携帯各社のWebサービスが始まる。
- 携帯のプラットフォームは各社内で閉じていた。
- インターネットには接続できない。
- 携帯電話で写真を添付したメール「写メール」が送れるようになる。
- 1999年J-PHONEから世界初の写メールができる携帯が発売。
- 地デジ化が始まろうとしていた頃。
- 2002年から完全週休2日制。だから土曜日に学校に行った記憶がある。
- ポンキッキーズは土曜の朝6時。ニチアサはまだ朝7時から9時。
Flash文化
Flash動画
ブロードバンド(死語)時代、マルチメディア(死語)でインタラクティブ(死語)なコンテンツを楽しめるフレームワークFlashがあった。
当初はFlash MX(有償)でしか制作できなかったが、無料ソフトのparafla!が出てから裾野が大きく広がった。
Flash動画の文化、今でも語り継がれるよね??なんの動画があったかは、ニコニコ動画で調べてください。まとめ動画があるから。
じゃあそうした動画をどこで見つけてくるかといえば
二次流通なら
- 珍品堂
- おもしろフラッシュ倉庫
である。当時小学生だったのでもれなく後者であった。
同じクラスの誰かがどこからか動画を探してきて、各教室に1台あったPCにみんな寄ってたかってそれを見た。
「トゥトゥトゥマシェリーマーシェーリー」とかインド人?が著しく歪みながら歌を歌うやつ、ドラえもん・ドラミちゃん、ギャバン、ウォーリーを探さないで、赤い部屋、小小系列、西日暮里ブルースなどなど、同じ動画を何度も何度も見た。
休み時間ごとにつけたり消したりしたせいか、教室のPCが1年で2回壊れた。
10年以上経ってDORAEMOOOON!を元ネタにしたMAD動画を1つ下の後輩が作ったとき、元ネタがわかったのは、ぼくとぼくの1つ上の先輩だけだった。20人くらいで一緒に見たのに。時代やね。
Flash音ゲー
2003年~2005年にかけては、メジャー音ゲーのフォロワーみたいなFlash音ゲーが増えた。
私はダンおにを作っていました。2023年もまだコミュニティあります!!!!遊んでください!!!
ダンおにのピークは、2004年~2009年頃だと思う。iso氏やKimera氏が夏や冬の祭りを大きく盛り上げてくれたとき、祭りに出張ってくる制作者は200人くらいいた。盛り上がりはすごかったなぁ(遠い目)。冬の祭りに熱中しすぎた結果、数日寝込むひどい風邪をひいたのも思い出です。あの日人生で初めて点滴を受けた。
自作HP文化
自分のHPをつくって情報発信しよう、それがモダン!みたいな風潮があった。
プロバイダーを契約すると、自分のメールアドレスとHPサーバ領域がついてくることがよくあった。加えて、FC2、geocities、TOK2、忍者、infoseekなどの大手無料サーバ、「勉強用」と称した大量の個人サーバ、さくらやロリポップ、XServerといった今もある有料サーバなど、まさに群雄割拠であった。
有料サーバは現在も多くが残る。しかしそもそもHPを作るのは趣味的に情報発信するためだから、その役割をSNSにゆずった今や、無料サーバやプロバイダ付帯のサーバは徐々にサービスを終了しつつある。
そんな自作HP文化を思い出してみる。
自作HPをつくるツール
「FMV」などに入っていることの多いホームページビルダーが筆頭。HTMLのヘッダとか、「戻る」ボタンの感じとかでなんとなくビルダー感を感じていた。
メモ帳でHTMLを手打ちしてFTPでサーバに上げるのもよくある手法。というか当時のテキストサイトのほとんどがそれでは。
WordPress(使えるサーバなら)とかブログとか流行りだしたらみんなそっち行ったよね。
自作HPにありがちなあれこれ
誰が旗を振るわけでもなく、どの個人HPにもあった要素。あーあったなそれ!って思い出したい。雑多に並べちゃう。
- 隠しリンク
- イラストサイトやゲームサイトにはよくあった。
- リンクを背景を同じ色にしてわからなくしておいたり(文章を反転させるとリンクが浮き出てくる)、普通の文章に紛れ込ませてあったり、HTMLのソースにコメントアウトで書いてあったり。
- 右クリック禁止
- これもイラストサイトによくあった。右クリック保存を防止したいがためのもの。
- だけどもみんなキャッシュから取得するすべを知っているのでほぼ無意味。
- MIDIのBGM
- マウスポインタについてくる謎エフェクト
- かっこいい・・・ことはなく、だいたい重いかうっとうしい
- クソ重い画像
- 1MBの画像はとても重い!! 10KB単位にしてほしい!
- リサイズや減色していない画像、知識不足でbmpのままだったりすると、ダウンロードが終わるまで、じりじり表示される画像を眺めながら待つはめになる
- 今も運営が適当なサイトだとよくあるけど、ダウンロードが十分に早いのであまり問題にならない
- 掲示板とチャット
- 100の質問 バトン
- 大体途中で疲れて他人にぶん投げている
- @避け
- 連絡先メールアドレスの「@(アットマーク)」を別の記号に置き換えて記載する方法。スパムメール対策。
- これをやりだすのは、牧歌的なインターネット(2003~2004年くらいかな)を過ぎてから。
-
Webリング
-
- HPの管理者に賛辞を伝えるボタン
- ちょっとしたコメントも送れたので、今で言うマシュマロ、質問箱に近い。
当時の無料サーバ
geocities、ninja、どっちも1ファイル3M制限くらいだった。
FC2やTOK2は広告が多すぎ&容量小さすぎ
Infoseek、livedoor、その他無数の個人サイト・・・。
結局忍者しか残ってない・・・こわい・・・。
あと当時の無料レンタルサーバは多数アクセスに弱くて容量が少なかったので、ミラーサイトや複数アカウントに分割されたサイトはざらにあった。
とくに分割サイトは厄介で、ファイル管理が個人に委ねられているので場所によってはどこになにがあるやら魔窟状態に・・・。geocitiesが死ぬときに一部データ・アーカイブしたんですけど、分割サイトの事情を知らないとまったく何もアーカイブできないくらいにはすごい状態だった。
自作HPのゲーム
FlashやJavascriptのゲームはよくあった。Flashはさっき書いた。でも当時しか遊べなかったものといえば「CGIゲーム」じゃないかな??
「SOLD OUT」は当時めちゃめちゃ流行った。資源を集めてクラフトして店で売る、というゲーム。売り物を変えたりパラメータを変えたりしていろんな種類があった。ぼくはうどん・そばを売るSOLD OUTサーバでずっと遊んでた。
掲示板が流行っていたので、自作HPでも置けるようにCGIが動く環境を提供していたサーバも結構あった。でもアクセスが集中してサーバに負荷がかかるとBANされちゃうこともあったのはご愛嬌。
配信はPodcast!
したらばBBSに個人のpodcastを上げる掲示板的なものがあった。
今ほど簡単な配信機器が売っている時代じゃなかったから、とりあえずPCにマイクを刺すのが関の山。BGMを入れたければPCの音声ドライバが「ステレオミキサー」を持っていないとだめだった!これがないと音声が回っちゃうのであった。
RealTekのナントカだとあるとかないとか、そういう情報が出回っていた気がする。
そして友達とSkypeをつないで「ダンおに」界隈向けにラジオをやってみたこともあった。結構楽しかった。
今はYouTube Live、twitch、ニコ生などなんでもあるけど、Podcastも一周回って公式音声メディアとして残っているのが面白いよね。
一周回って残っているといえば、RSSリーダもそうじゃないかな~。2006年くらいにブログの新着情報を配信するのによく使われてた気がする。いまも地味に便利ということで根強く残ってたり・・・。
2ch文化とネチケット
具体的な歴史はWikipediaにまとめられているのでそちらを見た方がいい。
当時のネット民で、コミュニティを欲する層はほぼ2chユーザーと言ってよい。2022年現在の日本語環境twitterよりも層が網羅的である。(と書いてたら2023年にXになっ色々変わっちゃった)
2ch初でいま消えた文化
これは
- h抜き
- 炎上ではなく祭り
- sage進行
あたりかな。
h抜きはリンク先のサイトに負荷をかけたくない、あるいはリンク元が2chとバレたくないという気持ちがあったはず。
炎上ではなく祭り・・・これはいまとまったく精神性が異なる点と言っていい。有名人が不祥事を起こしたとき、それを面白おかしく脚色してみんなで盛り上がる文化があった。例えば田代まさしが覚せい剤で捕まった事件はその最たる例。現在ならば正義を気取った輩がよってたかって袋叩きにするのがオチ。行為自体はどっちもどっちだけれども、精神性としてはかつての2chのほうが望ましいと思う。
田代砲も使って「祭り」が大規模に広がったのは、ポケモン人気投票にコイルがでっちあげられたのが最後だと思う。(なんでや!コイルかわいいやろ!4コマの主人公やぞ!!)
sage進行は、スレッドの書き込みをしても新着表示(スレ上げ)しない設定のこと。これはなんでだろう、アングラ的な自覚があったのかもしれない。
2ch初でいまでも残っている文化
- jk
- 「笑い」の短縮表示
が主に挙がるだろう。
jk・・・文脈次第で「常識的に考えて」→「常考」と「女子高生」の略を使い分けていた。いまは「女子高生」の意味だけ残った。
「笑い」・・・笑→藁→wara→w→wwwww→草 と変遷した。確か「藁」が出てきた時点で「www」の表現を予言した書き込みがどっかにあった。サーバー→鯖、アカウント→垢などの隠語もまあまあ残ってる希ガス(死語)
ところで、海外サイト閲覧のハードルは現在より高かった。大陸間の伝送路が細くてダウンロードがほんとうに遅かったし、Unicodeなんて普及していないから文字化けも多発した。そんなわけで現在よりも文化は国ごとに閉じやすい。
文字化けが起こりやすいから半角カナを避ける、みたいな知識だけはだいたいみんな持っていた。今も半角カナを明示的に避ける人は2000年代のネット民である。気にしない人は現代人、むしろ半角カナを積極的に使う人はケータイ民か古のSIerである(偏見)。
こうした小さなこだわりが積み重なって、当時の2chにおける「ネチケット」、ひいてはヌクモリティにつながっていたのかもなと思う。
いろんなコンテンツ
ニコニコ動画が2007年に立ち上がってしばらくしてからも、コンテンツは勝手な使い・使われが割と当たり前だった。その代わりマナーを守ってね、といった感じ。場所によっては金銭のやり取りもあったとは思うけど。
音楽はどこで?
muzieやSoundCloud、個人HPだった。
個人HPで多かったのはやっぱりBMS界隈か?keep on lovin' you(kuri-zill)とかEasypopとかボーカル付きもあったけど。知る人が生き残っててほしい、Easypopのボカロ以前のこと。結構聞いてました。
JASRAC嫌悪
2000年代は、ネット界隈でのJASRAC嫌悪はかなり根強かった。これは書かざるを得ない。
このJASRAC嫌悪=著作権料をせびる金に汚い権力者というイメージは、2001年頃までにMIDI文化を壊滅に追いやったとしてネット民から明確な「敵」認定をされていたことから。
MIDI文化は、自作曲のMIDIだけでなく既存曲の耳コピMIDIのやりとりもあって発達していた。当然無料ベースのやりとり。ここにJASRACが乗り込んできて、法外な著作権料を請求してきて、これじゃやってられないわと制作者がみんなやめてMIDI文化はあっけなく崩壊した。
今の感覚に基づいてJASRACの肩を持つなら、法外な・・・相場通りのはずだし、そもそも曲使うならお金払ってくださいよ、となるわけだが。
ユーザーにとっては、無料で内輪で(ここ重要!)ぼちぼち楽しんでいただけのにどうして?ってなるわけですね。でも実際はインターネット=世界に出ているから意識せずとも公衆送信権を侵していたわけ。
なおMIDI狩りが始まったのは、2001年頃にはNapster、WinMX、各種アップローダでメジャー流通の音楽ファイルがやりとりされる現状が無視できなくなったことはあるはずと付しておきます。
これは後世に間違いなく影響を残していて、いまニコ動やYouTubeに「歌ってみた」「弾いてみた」をアップしても問題ないのは、ニコ動やYouTubeが代わりに著作権料を払っているからなわけで、著作権料を個人にいちいち請求していると、請求する側もされる側も全く立ち行かなくなることが、2001年に証明されてるからなんですね。
2008年頃に「みくみくにしてあげる」がJASRAC信託する(当時CD化するなら当たり前だった)とわかったときに炎上しまくった事件もあって、これはJASRACへ信託する範囲のスタンダードが変わった事件でした。
すべてMIDI事件に繋がっているのだ!
なつかしのテキストサイトあれこれ
画像も音楽もろくに置けない当時のWebは、文字情報のやり取りが大半を占める。そして個人発のテキストサイトが流行ったのだ。
ろじぱら、侍魂、numeriが三大巨頭のイメージ。ろじぱらがまだ更新あるの末恐ろしい・・・。あと僕秩もあった。
numeriの中の人(pato)はWebライターとして今もバズってる時がある。
侍魂から始まったテキストでやたら装飾する文化(フォントサイズ、色、改行で表現)は、本当に真似する人が多かった。なんなら侍魂知らないときから自分のブログで真似してたし。(元ネタを知ったのは侍魂の最末期だった)
自作HPだけじゃない!携帯サイト
やっぱり前略プロフィールでしょ!今で言えばtwipro? と書いたところで今はもうXなんだった・・・となっちゃった。
ほかに2000年代なかば以降の流行りとしては、携帯小説(魔法のiらんど)、アメーバピグ、チャリ走(docomoケータイで動くゲーム)あたり? 個人的にはあんまりアクセスしてない範囲なので省略。
学研の「学習」に載っていたゲームサイト
当時はまだ「学研さん」の販路が残っていて、学研の「学習」はコロコロコミックと並んで小学生の重要な情報源であった。でもシェア的にはコロコロ・ジャンプ>>学研って感じだったと思う。
2002年頃かな、学研が載せていたゲームサイトは「ハンゲーム」や「ぱんぞう屋」であった。
「ぱんぞう屋」はShockwaveで作られていたゲームが多数あったことが特筆すべきポイント。
さて、Shockwaveについて軽く触れておきたい。Shockwaveの開発元はその後Macromediaに買収されてFlashに吸収消滅。そしてそのMacromediaもAdobeに買収され、さらにFlash自体が2020年12月に滅亡した。Shockwaveの売りは「マルチメディア」(死語)。画像や音楽などを組み合わせてインタラクティブ(死語)に動かせるコンテンツを作れるよ、ということ。いまや当たり前の話で、Flash滅亡まで考えると現代では発展的消滅をみたということか。
「ハンゲーム」は、当時流行った「トリックスター」とか「メイプルストーリー」のサービス提供プラットフォーム。ゲーム製作会社・NEXONとも繋がりがあって、ハンゲーム経由のログインが可能だった。*1
ハンゲームの運営会社は韓国のNHNで、LINEの設立母体につながるよ。今のLINEは登記上は日本の会社。
ここでついでなので、当時のネトゲについて、知る限り触れておく。
- 基本有料(月額課金)
- 2Dに強いと言われたATI RADEONと3Dに強いと言われた nVIDIA GeForce、そしてその他たくさんあるグラフィックチップメーカー(SiSとか)
- PS2にBBユニットを接続して遊ぶ ドリキャス・・・?時代が早すぎましたね
- 有名なのはPSO、ラグナロク、FF11、リネージュあたりでしょうか。遊んだことはないが・・・。
- 遊んでいたのは「パンヤ」「マビノギ」 マビノギはまだサービスしててスゴイ
テキスト文化の終わり
2000年代後半になるとブログが流行りだした。
一時期群雄割拠でした。いまはなきInfoseek、cocolog・・・もはやFC2とAmebaとlivedoorばっかになった
2chではVIP板でのアンカスレが流行った。これは「>>10の書き込みにあったものを食べる」とか、未来のレス番にスレの流れを託す感じのやつ。
これに付随して2chの流れが早いスレをまとめた「まとめブログ」も増えた。アフィリエイト収入で食えるようになってきて、元ネタがタダなのに金儲けなんて、とスレ民からひんしゅくを買って「アフィカス」とか呼ばれるようになった。
板によっては最終的には基本転載ダメやで、とローカルルールを作ってみたり。
こうしたテキスト文化も、YouTubeやニコ動がはやるとそっちのコメントに徐々に移っていった。いまやまとめブログの記事も、元の5chのスレがしょぼいから・・・。
ガラケーで見るニコニコ動画
携帯料金と一緒にニコ動のプレミアム会員費用が払えたので、携帯で見ていた人もまあまあいた。
docomoは問題なく見れたかな
ぼくの使っていたSoftbankは記憶がない(パケ死するのが嫌で見てなかった)
auが一番傑作で、ボタン操作1回で送受信できるデータが30KBとかで決まってたので、動画見ている間ずっと決定ボタンを連打する必要があった。動画を見終わるとカラオケよろしく消費カロリーが出た。アホだ(褒め言葉)。
携帯動画変換君
ケータイやPSP(重要)によって外で動画が見られるようになると、変換するためのソフトが流行りだす。中身ffmpegな携帯動画変換君はマストアイテムだった。
外でなんの動画を見るって?ニコ動のMADよ。あとはゴニョニョな動画。PT3とかBONはまだぬるい方よ。stage6とかもありましたね。なんかこう、表の動画はフェイクなんですよ。
学校裏サイト
少し調べれば簡単に自作HPを作れるようになった時代。当然、近い人間同士で会話できるコミュニティを作る流れになるわけで、学生ならばクラスや学年のサイトを作るわけである。いわゆる学校裏サイトである。
しかし学校裏サイトは、教師や親、場合によっては本人のしらない場所で、陰湿ないじめなどをもたらす可能性があるとして、負のニュアンスでメディアに取り上げられることもあった。(※携帯のメールも同様)
悪く取り上げられたのは、インターネットというよくわからないツールに対する嫌悪感に近いものが原因と思う。いじめ自体はツールによらず、現代のSNSだって同じことが起こりうるし、仲間内で交換日記していても同様。もしかすると、鍵垢にできる現代のSNSのほうがたちが悪いかもしれない。結局はツールの使い方や他人との接し方を、大人が学生に諭すことが大切なはず。
多分にもれず、ぼくらも2005年・中学1年生のときクラスの掲示板を作って毎晩毎晩アホ話をしていた。
掲示板は大繁盛で1日500レス以上が付き、数十時間のうちにログが流れるほどとなった。ログが流れるのを嫌ってteacup→したらば→レンタルサーバにCGIという流れで移動した記憶がある。
また、上述のように学校裏サイトが悪いニュアンスで報道されていることを知っていた管理者たるぼくは、アホ話のできる場所を守るため、大人の誤解を招かないため、そして部外者の侵入を防ぐために、いくつかの対策を取っていた(意味があったかどうかは知らない)。
- レンタルサーバに移ってからは、HPのアドレス(ディレクトリ名)を著しく長くした。検索避けに近いもので、URLの推測によるアクセスを防ぐため。
- パスワードを設定した。
- 親にばれたときのために、管理者(=ぼく)の情報を、個人情報をぼかしつつ当事者には同定できるように記載した。学校の何年何組何番のものが管理しています、という情報と連絡先メールアドレスを記載した。
そして掲示板を開設して数ヶ月経ったころ、その存在が担任にばれた。管理者情報を書いていたので、ぼくが呼び出しを食らった。答え方いかんによっては掲示板存続の危機である。
しかし当時のぼくは普通にいい子ちゃんだったので、担任に「他愛のない話しかしてないやろ?」と聞かれ「はいそうです!!」と言い張って(実際そうだったし)お咎めなしとなり、掲示板存続の危機はあっさりと去ったのであった。
そして時代はブログへ・・・
そんな掲示板はクラス替えを経て次の年くらいまでは繁盛していたけれども、その頃から学校でブログ(CURURU)が流行りだしたので、大体のユーザーがそっちに移行して徐々に忘れ去られていった。*2
掲示板は5年くらいはずっと残っていたんだけど、ある日アクセスしたらサーバのアカウントごと消えていて少し悲しくなった。
ちなみにCURURUもだいぶ前に死んだ。万年ベータサービスだったけど使いやすかったんだけどなぁ、なんか異様に中高生が多い危険なSNSだったような気も・・・。
この流れで言うけど、最近は「YouTubeにあがってる右翼や陰謀論動画に高齢者の親がハマる」なんて笑えない話が話題になる。でも当時のぼくもgeocitiesにあった真偽不明のテキストをソースにハマりかけました。
当時14歳、悪びれることもなくCURURUでネトウヨ知識(大日本帝国がどうだ韓国がどうだなど)をひけらかしたとき、コメント欄に「まだ若い番人さん(*私)には、一つの視点に囚われずぜひ幅広い知識を得てください」的なことを残してくれた通りすがりの人がいた。これには今も覚えてるくらいに本当に感謝している。あーそういう類なのかと早々に目が覚めた。そういえばレスバが醜いと認識したのもCURURUでリア友が諌めてくれたことがきっかけだった。
ちなみに翌年、自分のルーツにかの国があると知るところまでがオチです。(ネトウヨ的な文脈で揉めると嫌なので、この話は必要な人にだけすることにしているけど、大概は賢明な方ばかりなので気にされたことはありません。)
群雄割拠
メーラー
なおThunderbirdはまだない。
ブラウザ
InternetExplorer vs Netscapeは90年代の終わりにあったらしい。自分がネットを見始めた頃にはもはや歴史になっていた。
ぼくの頃は、
あたりが戦っていた。IE6まではタブブラウザじゃなかったので、それをタブブラウザとして使うためにLunascapeとかがあった。動作は重かった。
しかし2000年代後半になってChromeが現れてさっそうとすべてを奪っていったのだった。
(1年くらい前、Donutというワードを10年ぶりくらいに聞いてヒュッとなった。かつて使ってたんですよ~)
メディアプレーヤー
まずみんなが使っていたのは
- Windows Media Player(WMP)
- Real Player
- winamp
あたりじゃないですか?
WMPはVer7からなんかリッチな感じで重くなってきたので、Windowsのカーネルにこっそり残されているWMP6.4をずっと使う文化がちょっとあった。このデザインをベースに高機能化していまだに残っているのがWindows Media Player Classicの系譜ですよね。
Real Playerは謎にアメリカの広告がうざいくらい入っていた。うっかりメアドを教えると楽天とタメを張れるくらいのメルマガが送られてきた。でも当時の微妙なストリーミング動画だと.rm形式だったりしたんだよなぁ。あるいはwmv(Sliverlight)か。
winampはCDをリッピング(死語)してPCにライブラリを作って、プレイリスト作って・・・をするためのソフト。スキンのきせかえとかめっちゃあった。
2000年代後半になると
あたりの名前が売れてくる。
iTunesは言わずもがな。当時iPod NanoやShuffleが出てくると爆発的に流行ったので、iTunesも当然みんな使っていた。Windowsで動かすと動作が超重かったけど現代でも同じでげんなりはする。
GOM PlayerやVLCは当時としては動作が軽いことが売りだった。ニコ動なんかGOM Player推しばっかりだった。
そういえば、中学時代の担任が使っていた学校PCを借りたとき、HDDほぼ満杯にiTunesライブラリが入っていたときはアーコレってなった。そもそもPCを生徒に貸すとか、私物利用とか実にゆるい時代であった・・・。(当時でもわりとダメなタイプだとは思う)
PC
が有名じゃないかな?
NECは「バザールでござーる~」でCM打ちまくって有名だったが、今でもキャラクターが残っててビビる。逆にいま表に出てないの寂しいね・・・遊びがない感じで・・・。
富士通PCといえば、象のエアホッケーとか、サンリオのゲームパックとか、妙に渋い声でチーと鳴く麻雀ゲームとか、いろいろはいってたなぁ(遠い目)
ちなみに象のエアホッケーは、令和でも遊べます。
参考リンク
あとは気が向いたら加筆修正する。
加筆修正と項目順の入れ替えをした(2023/12/27)