ぼくのボカロ曲マイリスト

2007年8月の初音ミク発売を皮切りに、ユーザーのオリジナル曲を主軸とした文化が爆発的に広がっていったボーカロイド

当時ニコニコ動画にどっぷり潜っていたダメな中学生だったぼくは、ボカロ界が立ち上がる大きな波を目の当たりにしてのまれ、毎日アップされ続ける曲を毎日聞き続けていた。そうして中学、高校、大学を経るうち、10代から20代までの数ある思い出には自然とボカロ曲が結びついた。

ぼくのボカロ曲マイリスト。自分の過去と結びついて離れない曲を語っていきたいと思う。*1

 

 

ブレス・ユア・ブレス / 和田たけあき [くらげP] (2019)

マジカルミライはこの年2019年に初めて参加した。正直に申し上げると、2015年頃からボカロ界隈からはだいぶご無沙汰になっていて、お気に入りのPを聞くかたまに名曲リンクに潜る程度で、トレンドはあまり気にしていなかった。

となれば知っている楽曲には相当ブランクがあるわけで、ボカロ界隈を初期から見てきたという謎の自負がある以上、できるだけ事前に予習してはみたが、数週間程度で追いつけるレベルではなかった*2。それでどうなったかというと、ライブ当日、8曲目のロミオとシンデレラが演奏されるまで浦島太郎になってしまったのだ!*3 予習・・・とりわけ公式アルバムは大事だなと思い知った。余談だが、wowakaの黄泉返り演出は心震えた。フロアの熱狂もあってバチクソかっこよかった。

さて、「ブレス・ユア・ブレス」はテーマソングだったので、当然予習対象だった。だけども家で聞いても、企画展会場で流れるのを聴いてもどうもピンとこなかった。しかしいやはやこれはライブで覆される。ライブの終わりを告げるイントロ、4小節すぎて直ちに銀テープに湧き、Aメロからなめらかにサビに気持ちがつながって、しまいにフロア全体で「声をかけるハローハロー!」、やられてしまった。ライブが終わってしまっても、会場に流れるインストだけで余韻を味わい尽くした。あの夏、会場のみんなと汗にまみれ叫んだ掛け声は頭にエコーしている。

人生で初めて参加したライブがこれ。フロアのアツさを一度経験したら他のライブも行ってみたくなって色々申し込むも、時節悪くコロナ禍ですべて吹き飛んだのは周知のとおりである。悲しい。

20代も終わりかけて、ミクさんたちのおかげでやっとライブの魅力に気がついた(めっちゃライブ向きの曲だった)。そしてもう一度ボカロ界隈に戻るきっかけになった一曲である。

 

さよなら、花泥棒さん / メル (2015)

ある日TSUTAYAのCDレンタル棚を眺めていると、なゆごろう氏のボカロ曲カバーアルバムがかなりいい棚でピックアップされていた。なんか聞いたことある名前だなとあまり深く考えずにレンタルしてみた一枚・「three※」の収録曲。「さよなら、花泥棒さん」は2曲め。

この曲はなゆごろう氏の声質と雰囲気がばっちり符合していた。登場人物の脆い危ういバランスで成立している何かが感じ取れた。込み入ったいけない関係で、たぶん次の瞬間には耐えられず消えるあいまいな関係なんだろうな。

この曲の雰囲気が結構すきで、メル氏の他の曲も聞いてみた。この微妙な泡沫をどの曲でもあぶり出していて、プレイリストを連続再生していると妙なもの寂しさに心がキュッと締め上がってきた。

先述の通り2015年頃ボカロシーンから離れていたため、その頃の曲をなゆごろう氏視点で補完することができて、これはいい機会になったと感じた。

なゆごろう氏のことは家に帰ってから調べてみたところ、どうも2010年頃に踊ってみたで見たことがあったらしい。よくそんな昔のこと覚えてたな。しかも歌ってみたのほうが投稿多いのに。

 

ハロ/ハワユ / ナノウ (2010)

今思えばワールズエンド・ダンスホールよりずっと後のような落ち着きを孕むんだけど、同じ年のリリース。信じられないほど高速に流行りが移り変わっていった様子が伺える。

2010年度、大学受験の年。日々最低限の宿題だけこなし、残りは毎日ニコ動を見て音ゲーを作りつづけ、スキあらばゲームしていたやつが突然受験勉強にシフトできるはずもなかった。半ば現実逃避的にゲームをしながら延々とリピートして聴いていた。「ラセンナワタシ / NiR-Gerda」(2010) も同時期にリピートしていたように思う。

過去の自分を弁護するならば、自然とその学齢になっただけなのに、まわりの雰囲気に急かされるように受験戦争に突入して、なんだか将来像を思い描けずモヤモヤしていたのかもしれない。曖昧の海に溺れていて。

結局その年、大学は落ちた。まあ残当だなとしか思えなかった。

 

メルト / ryo (2007)

そもそもボカロを語る上で外せない曲である。同時期*4の「ミラクルペイント(2007/11)」、「SING&SMILE(2007/12)」とともに、ボカロ曲が、単なるカバー曲や、初音ミクのアイドル性やソフトウェアとしてのさだめを表現した一義的な楽曲からの脱皮を図っていくきっかけとなった*5

また、その後のスターダムを駆け上がるryoの姿、歌ってみたからこちらもプロに羽ばたいていく「なぎ」(ガゼル、やなぎなぎ)、119氏のイラストを無断使用(!)*6したことから始まったsupercellというコラボレーションの可能性など、ボカロ文化だけでなくニコニコ動画に与えた影響があまりに大きい。メルトだけでなく続く曲にも、ひと目でryo氏とわかる動画タイトル、タイトルからあふれる「ミクさんのための曲」という思想が通じていて、これが人々に受け入れやすい雰囲気の一翼を担っていたと思うが・・・。そんなアフターストーリーが積み上がっていく2008年を迎えるちょっと前。

2005年頃は、もう子供も普通にインターネットを使うデジタルネイティブ世代。SNSという言葉ができて、mixiが流行り始めた頃。

その頃CURURUという日記サービス*7が学年で流行っていて、2007年のある日同じ学校のフォロワーさんに、CURURU経由で高校受験の息抜きと称して遊びに誘われた。でも学校で会話したことはない人である。

向こうはフォロワーとその友達の3人組で、1人は面識がほとんどなく、1人は近所の子。こっちも友達を2名引き連れて、2007年12月8日、街の広場に集合した。謎の(男子中学生だけでは経験したことのない)ノリのカラオケパーティを楽しんだあと、帰りのバス停。男友達2人は歩いて帰り、完全アウェー状態になったところで事は起こる。

フォロワーさんは、渡したいものがあるという。小さなアクセサリー。ぼくはこれを受け取って一言礼を言い、そのままポケットに片付けた。向こうは焦る。渡したものをよく見てくれという。受け取ったアクセサリーの裏面を見ると端的にI love youと書いてあった。

そうしてフォロワーさん以外の女子2人はキャピキャピ大騒ぎしながら超特急でお先に失礼していった。冬の入りの寒い雨の日。残されて僕たちはバス停の屋根の下、手を伸ばせば届く距離で、同じ道路を見つめて無言を貫くことだけできたのだった。

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お互いCURURU上でのやり取りしかなかったとはいえ、1週間くらい前から確かに文章が怪しいなとはうすうす思っていた。今でも人の好意方向のカンだけは鋭いんだけど(多分周りには鈍いと思われているけど)、これだけ感じ取れたって仕方がない。

家に帰ってニコニコ動画を見れば、メルト(2007/12/7投稿)がとても伸びていて、その甘い恋人手前の状態がちょうど今の自分とガッチリリンクしたのであった。

その後のぼくたちは、恥ずかしがって周りにばれないように隠れ隠れ逢瀬を重ねてはいたものの*8、とにかくお互いコミュニケーションが下手で、結局2年くらい経ってめちゃくちゃ喧嘩して別れた。ややこしいことにお互いの高校の友人同士もカップルであって、我々の喧嘩の仲介に入ってもらったこともあって、不幸にも4人まるごと関係性がめちゃめちゃになった。無事だったのはこちら(男性)サイドの2人だけという苦い思い出である。

今はほんとうになんの感情もないし相手の連絡先も知らんのだけども、当時妙な縁を感じていたという記憶だけ頭に残る。

 

 

 

二息歩行 / DECO*27 (2009)

いまもキャッチーなメロディで耳目を集めるDECO*27氏。「僕みたいな君、君みたいな僕」から1stアルバムまではとくに、そのかわいらしくもウイットの効いた歌詞が強烈な個性だった。いまは有名Pなら公式MVをつけているのが当たり前だけれども、当時は曲に触発された人がソッコーで二次創作MVをアップされる流れがまだあった。

3分ほどで駆け抜ける曲に脳を侵食されてしまったぼくは、この曲の歌詞を全部覚えて、一息絶えるまでなるだけ長く口ずさみながらチャリ漕いで家に帰る、というのが一時期のルーティンになっちゃった。*9

インタビューでは何かと挑戦的な言葉を言っちゃうDECO*27氏ではあるけれども、例えばプロジェクトミライのテーマ曲「セカイ」で、Bメロで3連符を重ねながらサビにつながっていく流れはテクニカルで好きなところだし、今も新曲がアップされたらつい聴いてしまう。なんだかんだで曲がよいとしか言えないのである。それでもぼくは、やっぱり2010年頃の作品にある、ストレートだけれども、どこか無邪気さかあるいは純粋さをふくむ詞やメロディが結構好きだったんだなと思う。愛言葉とかね。

 

ワールズエンド・ダンスホール / wowaka (2010)

2019年4月の急逝がいまも惜しまれるwowaka氏。氏の作るボカロゆえの超高速BPM・超ハイキー楽曲は、ハチ(米津玄師)の作る楽曲と並び立ちながら、賛否両論あるも「ボカロらしさ」を作り出すムーブメントにつながった。後進に与えた影響はあまりに大きい。「関ジャム」などで様々なアーティストが指摘するように、ボカロ文化は2010年代後半以降のJ-POPメジャーシーンの輝きのひとつにつながっていて、その先鋒が米津玄師やayaseなのは間違いない。しかしそんなボカロ文化を一番に引っ張っていた中にはwowakaがいたことを強く示しておきたい。

この曲がアップされた2010年の人気は絶頂で、曲がアップされるやいなや3DPVや歌ってみたといった二次創作が爆発的に増えた。個人的にずっと見ていたのはらさ氏の英語verで、ウォークマンに入れてずっと聞いていた。おかげさまで10年経っても英語の歌詞は覚えていなくてもリズムは頭に焼き付いている(原詞は当然そらで歌える)。今思えば当時のその姿はなんか気取ったイヤな高校生である。

wowaka氏の死後、ヒトリエver.のワールズエンド・ダンスホールを聴いたぼくは、なぜもっと早くにヒトリエにアンテナを張って、あわよくばライブで聴かなかったのか本当に後悔した。アンノウン・マザーグースのライブ映像を見たときも同じ感想をひたすらに噛み締めるしかなかった。さよならお元気でと歌っても本当にそうならなくてもいいのにな。wowaka氏が逝去した31歳は、ぼくはもうすぐ越してしまう。

 

そしてヒトリエの「アンノウン・マザーグース」は将来長く受け継がれてほしい。

www.youtube.com

 

BRiGHT RAiN / ラヴリーP (2008)

ラヴリーPといえば「VOiCE」も有名。この2曲は間奏部の謎のボーカル・Super Lovely Time (SLT) が特徴的。バンバンブーのワケのわからない明るさもすてき。

この曲には、自作音ゲーに落とし込んだ曲として思い入れがある。コンテスト的な場所に渾身の力を込めて応募したところ、賛否あったもののおおむね良好な評価を得られてほっとした思い出。

淡白な繰り返しの歌詞に呼応した配置、踊るSLTに惑わされる動き、曲の緩急を表した速度変化を音ゲーの譜面へ異常に取り込んで、ある意味自分スタイルを確立した点が思い出深い。この速度変化が否の部分ではあるし、観賞用譜面としてはよいという鋭いご意見も頂いたわけなのだが・・・。

ともかく自分としては、かなり満足できる出来の譜面だし周囲の評価を得ることにつながった思い出があるうれしい一曲なのである。

 

どういうことなの!? / tetsuo [くちばしP] (2011)

くちばしPといえば「私の時間」が一番有名。オリコン1位も取れちゃうかもね~とかアイドルっぽく歌ってたら、数年後のEXIT TUNESでホントに1位を取れちゃったときの感慨は深い(視点が迷子)。

翻ってこの曲は、電脳世界の理系ミクさんにずっと問いかけられ(追い回され?)る。呼応して同じ回路でぐるぐる回っているような曲の感覚が好き。そうそう、この曲のMVのおかげでLat式ミクがいまだに好きなんです。

先述の「BRiGHT RAiN」同様、音ゲーに落とし込んだ曲で、前回以上に速度変化を異常に盛り込んで制作した。ただ以前よりちょっと洗練されていて、以前よりも速度変化が無駄に多い印象を隠蔽できているのが成長した部分と思えるのです。

 

PIANO*GIRL / OSTER project (2010)

(上の動画、転載につき注意)

OSTER氏の楽曲は、音ゲー界隈にいたこともあって2005年頃から聞き及ぶ機会が多かった。CHOCO☆とかSUPER NOVAとかFrozen rainが好きだった*10。当時インストだった曲が、後年になってボカロ曲に発展した流れもめっちゃいい*11

そんなOSTER氏のボカロ曲の中で個人的に一番インパクトに残ったのがこのPIANO*GIRL。インターネット上でのクリエイターの顔出しが忌避される当時の風潮の中、間奏部分で愉快にピアノを弾く姿が挟まったのがすごく画期的で驚いたのを覚えている。しかもとても楽しそうだし。

今も精力的に、ほぼワンマンで、動画から曲まで全部仕上げてるのは本当にすごい。ネット発クリエイターの、ひとつの象徴的な姿である。

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さて、何度も話題に上る音ゲーだが、それにのめり込むきっかけが、某サイトに公開されていた「CHOCO☆ / OSTER project (2004)」の譜面だった。なんとかフルコンでクリアしようと夏汗をかいて毎日挑んでいた。必死のプレイ中に折悪く話しかけてきた親に怒ったこともあった。中2だった。「CHOCO☆」の譜面は友達に教えてもらった。同じ友達から、今度は音ゲーの譜面を作ってみようと誘われた。最初は稚拙な作品だった。自分は稚拙であることにも気づけないレベルだった。いくつか作っていくうちに徐々に作るのもうまくなっていった。普通、音ゲーを作る場合はゲームセンターの(当時なら)弐寺ポップンなどから入ってコミュニティを見つけるのが普通で、ベースがほぼネットの音ゲー(とPSP太鼓の達人)だけというぼくのパターンは珍しいと思われる。つまり音ゲーのお作法も何も知らないので成長に時間がかかった。でも気づけば界隈ではそれなりに名前を知っていただけて、自分のHPのアクセスも伸びた。高校生ゆえの体力ゴリ押しでなんとかする場面もあったけど、HPづくりは楽しかった記憶しかない。

さて、数年してから同じ「CHOCO☆」を再プレイしてみると、どうしてそんなに熱中したのかわからなくなってしまった。多分、自分がうまくなってしまったせい。そして今やこの譜面は、もう遊べない。一時代を築いたFlashが終わってしまったからだ。大事だったはずのものの受け取り方は、数年とたたず変わってしまう。

 

 

宇宙地図 / yukkedoulce (2012)

yukkedolce(ゆっけ)氏との最初の出会いは、ニコニコ動画のランキングに偶然上がっていた「一丁目ゆきみ商店街」。当時アップされていたものはすぐに全部聴いた。

1年の浪人の末、神戸での大学生活が幕を上げた直後の話。かねてよりお気に入りになっていた同氏が初めてのフルアルバムを豪華装丁で頒布すると聞いて、初めてとらのあなで通販をした。その発売日が、これまた当時熱心に活動していた音ゲ界隈オフ会が明日に迫る日柄であって、東京行きの夜行バスの発車が迫っているというのに、佐川がCDを届けてくれるのをギリギリまで待った。急いでリッピングしたCDは、夜行バスの車内で何度もループして聴いた。「宇宙地図」は、ちょうどバスの天井を眺めているときにウォークマンから流れてきた。車窓から断続的に差し込む街あかりが、まさに宇宙盤の輝きのよう見えて曲の世界観とマッチした。*12このアルバム「黒猫と宇宙地図」の3曲めで、CD限定の楽曲。ちなみに10曲目のTrueもとてもすき。一時期ニコニコ動画にアップされていたゆっけ氏ボーカル版も合わせてよい。

ところで音ゲ界隈については、大学生活に気を取られ結局それっきりになってしまった。もしかするとこのオフ会が気持ちの切れ目になったのかもしれない。でも当時音ゲーに感じた高揚感とか、必死で作った過程と成果は、自分のいまの糧に違いはなく、かつてのHPを今も完全な形で維持する動機になっている。

 

Good Morning, Polar Night / yukkedoulce (2014)

同じアーティストがつづいて恐縮だが、1枚目のフルアルバムを購入してからますます好きになってしまって、その最中にアップされたのがこの曲。高音質版が聞きたい一新で2枚めのアルバムを首を長くして待ち続け、出るやいなや即予約。そんなわけで、ゆっけ氏のアルバムは2枚とも限定の特装版で持っているくらいお気に入りなのだが、コミケやボーマスは結局行けてないし、マジカルミライに初めて行った年も次の年もクリエイターズマーケットで会えず、バンド(doluce)のライブも行ってみたいなあと思いながらコロナ禍になってしまって、結局この無駄に重い愛を伝えられていないのである。

「Good Morning, Polar Night」は原曲のミクさんバージョンだけでなく、人が歌う魂震えるバージョンも聴きたくてネットの海を泳いでみるもなかなか解釈が一致せず、ご本人歌唱のアコースティックバージョンが一番ぐっときた。

 また、この曲が収録されているアルバム「月兎と懐中銀河」では、8曲目の「どうかしてるわ」、12曲めの「Liekki」がとくにすき。「Liekki」はフィンランド在住の方のフィン語カバーが実に力強くて心揺さぶられる。一旦違う言語に訳して原語に再翻訳するという作詞手法があるらしいが、それと同じで、形を変えてもなおどこかに残るというのが、最も作者冥利に尽きるところといえるんだろうな。

 

 

ステラプレイス / yuxuki waga (2009)

はじめは「隠れた名曲」かなんかのタグをたぐって見つけたと思う。空に散る音の浮遊感に心落ち着くいい曲だと感じたことを記憶している。

浪人生の夏、友人と東京へ18きっぷの旅に出かけた。ジョルダンで調べた乗り換えパターンをいくつも携えて*13、地元の駅を出発した。乗り換えるたびに車窓を動画に収めた。その動画をつなぎあわせ「ステラプレイス」を重ねてみると、完成した動画には淡い青春像が浮かんできた。大雨のせいで静岡で足止めを食らったこと、初めての中野に驚愕したこと、初めてメイド喫茶に入ったこと、帰り道の群馬の廃墟、日本海の夕日が、全部浮かんでくる。

当日中に東京に着けるはずだったのに、あの日は静岡で足止めを食らって土砂降りの中夜を明かす場所を探す羽目になった。ずぶ濡れになって見つけたファミレスはその日だけ運悪く1時閉店。吉野家は何時間も粘る場所じゃない。静岡の歓楽街、18歳の若者にはまだ恐ろしいから遠くに見つめることしかできない。結局雑居ビルのネカフェに入るんだけど、なぜか学生証すら持っていなくて身分を証明できなかった友人はひとり、静岡駅前で野宿した。ネカフェからメールで大いに煽ってやった。代わりに朝ごはんはおごった。でも、止まった電車の中で話した酔っ払いのオッサンや、地下道で我々の話を漏れ聞いてあっち行けばいいぞと教えてくれた青年とか、静岡はいい人ばっかりだった。

これが1つ目の思い出である。

数年経ってもう一度調べたとき、「Tender」(2012) が目に止まった。淡い色使いが印象的な実写MVで彩られていた。爽やかだった。メインボーカルは初音ミク、コーラスにわかりやすく本人歌唱(?)が入るのは当時まだ珍しいと思う。*14その曲が入ったアルバムが出ていることを知り、早速なんばのとらのあなに向かった。

音源を手にして何をしたかといえば、この曲を使ったショートムービー制作である。当時は映像制作をする学生サークルにいて、やっぱりドラマとかMVとか作ってみたくなる。温めていたネタとこの曲の雰囲気が偶然にマッチして、一本の動画に昇華した。今見ればカットの甘さやカメラワークのぎこちなさが目につくが、構成や発想は気に入っている。インターネットには上げていないので自分の中だけの大切な思い出である。まあこんなショートムービーを作るやつは、一歩引いてみれば気取り過ぎのヤツかもしれないけどさぁ。

yuxuki waga氏が、小林さんちのメイドラゴンOP「青空のラプソディ」(2017) で有名なfhanaに参加していることを知るのは、さらにもう1年後である*15。先に紹介したアルバムにはすでにボーカルのtowana氏が参加している。

形を変えてなんどもyuxuki waga氏に出会った気がしていて、その最初の曲だから選んでみた。

 

 

ぽかぽかの星 / はるまきごはん (2019)

はるまきごはん氏の人気は認識しつつも、そのハンドルネームが個人的な事情で引っかかるというしようもない理由であまり深堀りしていなかった。

2020年のマジカルミライのテーマが冬祭りであって、それなら去年の雪ミクソング=「ぽかぽかの星」がセトリに入るに決まっている!と勝手に思い込んでいたら見事ビンゴでうれしくなった。

はるまきごはん氏の楽曲の中で個人的にナンバーワンで、この曲だけで全力で推せるくらいにはお気に入り。雪国出身のぼくとしては、雪の日の夜の光景──除雪車の音だけが響くような全くの静けさと、無言で無情な大雪の中でふと触れる人や文明の暖かさ──が見事に描かれているところに大いに共感する。ミクさんの純度の高いアイドル性(少女性?)の演出も見事で、雪ミクイラストを交えて聞けば、ミクさんほんとこんな格好させてもらえてよかったねと心から思ってしまった。かと思えば完璧な人間なんていないのだ、と最後に歌い上げるメッセージ、ぬくもりが溢れている。

マジカルミライの帰り、機中、この曲を聞きながら雪の残る自宅へ帰る、ほのかな余韻が穏やかに脳内に残っている。

  

 

ひねくれアイロニー / しけもく (2011)

これも受験との連想記憶である。

浪人で後がないぼくは、受験のために1年ぶり2度目の京都へ向かった。2階建てバスの最前部で揺られこの曲を聴いた。受験の見送りに駅まで来てくれた友人は、時間を伝えていなかったせいですれ違いになってしまった。お茶を濁すために立ち寄った駅ナカのカフェーで過ごす姿を、わざわざおしゃれと自称してメールしてきた。なんかすまん。そんな2月24日の、嵐の前の落ち着きである。

そして大学はまた落ちた。たった1点が足りなかった。浪人時代はそれなりに力を入れて勉強したので、さすがに悔しかった。19歳には、そんなもんでしょ人生って、と軽くは受け入れられない。ふてくされる自分に友達はうどんをおごってくれて、親は受験中はずっとあんたのいいところが出ていたんだからもう一息頑張りなさいと檄を飛ばしてくれて、それでひとまず慰めを飲み込んだ。まあ結局落ちたこと自体はそんなもんと思うしかなくて、とりあえず自分の前に座ってた優秀そうな人(見事合格)におめでとうを祈っておいた。

さあまだ続く試験対策を始める心の準備は整った。あと2日しかない。次の日、全力で予備校のコピー室に乗り込んだ。連絡を一つも入れていなかったせいか、職員は一瞥だけして誰も声はかけてこなかった。

 

 

 

番外編

思い出とはそれほど結びついていないけれど、今でもとてもすきな曲。

SKELETON LIFE / ラムネP (2008)

隠れ名曲ってなんですか、と聞かれたら必ず挙げる。気持ちのいいスカ曲。

 

またあした / ふわりP (2010)

ラストサビに向かっての盛り上がりと、穏やかなミクさんの調声がとてもよい。ピアノバージョンはプリミティブなよさだけ抽出されている。2021年現在ニコ動では非公開になってることに泣いた。

 

クーネル・エンゲイザー / 電ǂ鯨 (2019)

名状しがたい退廃感がとてもすき。左はつめたく右はあったかい、ふしぎな感覚です。電気止まっちゃったってことは。

 

明日へ舞う桜 / すも~かぁP (2008)

春(桜)の曲を選ぶならこれを全力で推します。同時期の桜ノ雨に完全に隠れてしまったのが惜しいくらいの名曲です。あと自分が卒業した年なのですごい印象に残っている。

 

僕らのあしあと / supercell (2011)

ボカロ曲ではないけれど、この曲にも受験の連想記憶がある。強風でダイヤの乱れる特急電車。往くは後期試験。本当に後がない。窓から見える枯れた田んぼと雪粒、神戸にも同じ雪がちらついていた。そんな2012年3月11日の記憶が濃い。

 

ここまで紹介した曲を含め、いろいろゆるく混ぜ込んだkiiteプレイリストはこちら

kiite.jp

 

最後に

WindowsPCの音楽プレーヤーやウォークマンを何度か乗り換えているので、累計再生数ランキングができないのが残念なところです。その代わりにはなりませんが、最後に、ボカロ曲を楽しむ上で欠かせなかったエピソードを紹介して終わります。

初音ミクが発売された2007年当時、SpotifyやAppleMusicみたいなサブスクサービスは当然なくて、ボカロ曲のソースはニコニコ動画に上がっているものがすべて。たまに作者がピアプロアップローダに上げている程度*16。どこでも楽しもうとするなら、動画をソースに音声を抽出するのが基本でした。外で動画を直接見るなんてバカは言えないガラケー時代です*17。誰も彼も、なんとか元動画をダウンロードして携帯動画変換君かなんかで音声を変換して、ウォークマンiPadPSP(重要)に入れていましたよね。携帯に入れたい場合は、携帯ごとに対応形式が違うからwikiでいちいち調べて・・・なんてことをしました。

だから昔の曲ほどPCに保存してあって、動画が非公開になっててもとりあえず聞けるし、逆に消えることがあったから警戒して保存する習慣があったんですけれども・・・。最近自分の中でも習慣はめっきり消えてしまってサブスクに頼る状態です。サブスクを使えばわずかながら作者への還元にもなるということもあるし*18

でも改めて、「ネット上のデータはいつか消える」。これを念頭に置いて、気に入ったものはちゃんとローカルに保存しておきましょう。この戒めはいまも有効だと思っています。

*1:10曲に絞ろうとして落としきれなかったのは秘密

*2:いまやflowerやIAなど「ボーカロイド以外のボカロ」が一定の地位を築いているが、それにも気づいていなかったレベル

*3:一応2曲めはピノキオピー、3曲めはラマーズPっぽいなというのはすぐわかったけど曲は知らんかった

*4:ボカロにおける初期の3ヶ月は、1週間違いが別世界といってよい

*5:ryo本人は全くそんなことを意識していなかったというが

*6:この懐の深さもニコニコゆえ

*7:広告が少なくてデザインもそつなくよくて使いやすかったのに、主流になれなかった。FC2よりよっぽどよかったのに、万年βサービスのまま終わっちゃった

*8:学校の立ち入り禁止の場所で遊んでて教頭に怒られたり神社の境内を無為にさまよったり誰もいない地下道の出口でたむろしたり

*9:二息歩行に限らず、当時のDECO*27氏の曲はだいたいそらで歌える

*10:Frozen rain、リメイクしてくれないかな・・・

*11:piano×forte、Dreaming Leaf、Chocolate Magicなど

*12:余談だが、このバスに乗る数日前に関越道の高速ツアーバス事故が発生していて、その中で遮光カーテンすらない激安ツアーバスに乗ることの若干の不安が紛れていた意味もある

*13:まだスマホは普及していない。電池がすぐ切れるだめなスマホは持ってたけど。

*14:バンプがミクとコラボして話題になったのが2014年かな?

*15:fhanaを知ったのは「いつかの、いくつかのきみのせかい」(2014)

*16:YouTubeやニコ動が流行る前から曲を上げている場合は、2chのカラオケ板とかmuzieに上げる人もいました。例えばOSTERさんは「ユメクイ」くらいまでmuzieにも上げていた。sound cloudはまだ広まってないです。

*17:au携帯でニコニコを見るときが一番傑作で、動画を見る間ずっと決定ボタンを連打しないといけなかった。au携帯が採用するOSの仕様で、ボタン操作1回につきダウンロードできるデータ量が制限されていたためのはず

*18:余談ですが、サブスクの登場はボカロがほぼ完全ボランタリー状態から抜け出すきっかけの一つであったと思います